美しい国より、美しい人

 電車の中で、隣に座ったオンナが化粧をし始める。
 一日目は二十代の勤め人。ところが、三日目に学生とおぼしき十代と
出くわす前の二日目には、完璧なる白髪を完璧なる黒髪に染め上げた歳
の人がやおら口紅の塗り直しを開始したものだから、私は匙を投げまし
た。
 もはや、この現象は世代を問わなくなっている。
 ところで、隣で化粧タイムが始まると、私は体を捻ってまで、その光
景を観察させてもらう。電車が揺れて、マスカラがパンダ目を描けばい
いのに、などと心で念じながら。
 まあ、そういう所で臆面なく化粧ができるぐらいだから、その程度の
視線にへこたれる者どもではない。で、結局、私が別の席に移動させら
れることになる。化粧品の臭(にお)い---敢えて、この字を遣うぞ、
私----に堪えられなくなるのだ。
 それにしても、三人目の十代の時は参った。人がほぼいっぱい状態の
夜で、空いた席はなく、疲れているから立つのも癪で、じっと観察し続
け、ようやく化粧の締めのハンドクリームか、と思いきや、恐怖のヘア
クリームにいきなり真横から襲われたものだから、私は頭がくらくら。
 うちでは、母が化粧台の前でヘアスプレーを使うと、その臭いを、部
屋に居ながらにして私の嗅覚は察知し、即、あとを頭痛が引き受ける。
吐き気もする。お願いだから外でスプレーしてと頼んでも、やれ寒いの
鏡がないのと理屈をつけて、母は、ただ換気ボタンを押すだけ。
 化学物質過敏症の児童が、ヘアクリームなどを使わないよう先生を通
してクラスのみんなに頼んだら、わざと近くでスプレーされたりすると
聞いたことがあるけれど、家族ですらこうなのだから、この世は弱肉強
食の世界である。
 それにしても、立て続けにこういう目に遭うなんて、よっぽど日頃の
行ないが悪いのかしらん。
 奈良のお水取りは、人の罪深さを本尊の十一面観音に詫びてもらう行
事だそうで、ちょうど見に行くことになっているから、こういう隣人を
引き寄せない私をお願いしようと期待したら、頑張って一番前に陣取っ
て待つこと二時間のあいだじゅう、よりによって私達の真後ろに来たカ
ップルの男が携帯で熱中するテレビがうるさい。
 同行のフランス人と個人の自由の議論になり、化粧女やテレビ男の行
為も自由とみなすべきか、と一瞬気弱になりかけたのは、「自由と公共
道徳は別」とあっさり決着をつけてもらった。
 今日から、お水取りの威力で護られることを祈っている。