思い癖

 人の心は、生まれた時は無色で、徐々に個性ができるのではなくて、
生まれながらに個性が備わっている。
 そんなことは、子持ちの親、特に子供が二人以上いる親なら、実感と
してわかっているのだろう。私は、保育園の英語レッスンで子供達を見
ていて、とくと学んだ。
 みんな、幼いなりに、考え方や感じ方に何かしら色がついている。
 たとえば、英語の遊びで、いつもだったら捕まって鬼になるのを喜ぶ
はずが、その日に限って鬼になるのを拒否し、それでも鬼の役をさせよ
うとすると、膝を抱えて床に座り込む女の子。でも、その反応は理不尽
なので、私も、周りの先生も、勝手に拗ねさせておく。
 その子にしてみれば、なんで、すぐさま、おーよしよし、とご機嫌を
取ってくれないのかと不満かもしれない。まあ、そこが、即、そうしか
ねない親と、客観的判断を優先させる職場の大人とのちがいなのだが。
しかし、社会の規範から、それは変だよ、と矯正されるのは、きっと彼
女の未来に役立ってくれるであろう。
 この子は、意味もなく落ち込む、と先生達から見なされている子だっ
たが、大きくなってもそのままだったと仮定してみたとして、もし、そ
ういう感情に振り回されることに、彼女自身、疲れたなら、心底嫌だと
思えば、解決するのは簡単だ。
 考え方を変えればいい。
 こういうことが起こるとこう考える自分の反応が唯一の正解でないこ
とは、同様の事態に出くわしても、同じ反応をする人ばかりでないこと
に目を向ければ、納得できるはず。
 鬱病や不安障害の治療法の一つに、悲観的に考えたり、正義を強く基
準にしすぎる思考のゆがみを自覚することで、考え方や行動のパターン
を変える「認知療法」もあるぐらいだから、やっぱり、その気になれば、
自分自身の思考をコントロールすることは可能なのだ。
 ところが、言うは易く行なうは難し。
 自我が邪魔をするのか。
 今までの自分、それも、生まれながらに備わっている思い癖を変える
のは、自分が自分でなくなるようで激しい抵抗があるのか。
 それに、思考のゆがみ、というのが曲者(くせもの)っぽいではない
か。
 思考のゆがみであると自覚し、あるいは、させられて、コントロール
したはいいけれど、実は、正常な思考をゆがませることになっていた、
なんてことにならないと、どうして言い切れよう。
 そう考えると袋小路に陥るが、要は、絶対的な理想があるやなしや、
ということである。