引用のリスク

 読んだ途端、別の本に出ていた話そのままじゃないのと気づいた私は、
念のために、そのもと本を引っ張り出してきた。 
 一つは『心のチキンスープ2』の中の『窓』という小話で、最後に
「作者不明 ロナルド・グールステン&ハリエット・リンゼイ寄稿」と
ある。
 もう一つは、『マーフィー100の成功法則』で、「マーフィー博士
が知り合いになった外科医の話です」という文から始まっている。
 どちらも、「古い話をします」とか「ある父親と、息子の話です」よ
り具体的で、よって遙かに誠実だ。
 でも、たとえば、人間に耳が二つ、口が一つなのは、喋る二倍、人の
話を聞くためだと聞いて、ほぉ〜、うまいことを言うなあと感心し、次
にどこかでその言葉に出会っても、盗作とは感じない。短い言葉に要約
されると、生まれたての諺や名言のようで、みんなで共有すべき知的財
産という思いが強まるからだろうか。まだ、よくわからない。
 それに、出どころを明確にすれば誠実かと言うと、アインシュタイン
の言葉として広まっていたのが、研究者による地道な検証の結果、実は
シュタインという法学者の言葉であったと解明されたようなことは、今
後も少なからずあるだろう。ちょっと良い言葉は、有名な人の言葉であ
ってくれた方がありがたくて、大衆の無意識がそう間違わせてしまう。
 ということは、引用する際、原典にまで遡って確認するだけの厳しさ
が必要と知りつつ、そんなことをしていた時にゃあ日が暮れると、せめ
て信用の置ける書物や人からの孫引きすることで責任を果たした気にな
っていると、誤用の蔓延に手を貸しているだけというリスクもあるわけ
よね。さて、どうしましょ。
 などと考えていたら、ニューヨークのミドルベリー大学史学部が、ウ
ィキペディアからの引用を学生に禁止したとの記事。
 この、善意の市井の人達の手によるウェブ上事典が登場した時、私は、
高価な百科事典はこれで本当に絶滅だなあと思ったのだったが、「うち
は各項目の記載者が一流で、レベルと信用度が違います」という編集者
の言葉にハッとさせられたおかげで、この件は素直に納得できた。
 冒頭の挿話に関しては、著者が、登場人物の職業を変えるといった小
手先の修正すら加えていないのを善意に受け取れば、著作権不問のお伽
噺の一つと認識していたと受け取れる。
 一番恐れるのは、もと本を知る、私のような読者はいないと高をくく
り、その手間まで惜しんだ場合だ。