もと長風呂族

 フランス人の友が、銭湯や、旅先での温泉は好きだが、家で風呂に入
るのは時間が取られる、だからシャワー、と言うのを聞いて、生まれな
がらの文化が身に染みついて、謀反できないだけじゃないの、と思った
ものだった。
 学生時代、私は、風呂場に教科書を持ち込み、翌日のテスト勉強を続
行した。
 社会人になると、うたた寝
 頭が垂れて、耳が湯に触れる。
 その瞬間、ハッと目が覚める。
「寝耳に水」の諺の正しさが確信された。
 手の指先がふやけて縦に筋が何本も入るのは、長風呂族の勲章である。
 でも、寝るなら布団の中が王道、と考えられるだけの理性はあったの
で、風呂で寝るのはやめた。
 それに、風呂で寝たら、寝なければあり得ることが、あり得なくなる。
 手で湯をゆったりかき回しながら、とりとめもない思考に身を委ねる
時間だ。
 脈絡なく訪れ、遠ざかる思考。
 意識して思考を制御するのではなく、訪れ来る思考に身を任せる。
 発想が自由に羽ばたく。
 が、今年の初夏頃からシャワーの毎日になった。
 半眼で瞑想するがごとき時間がなくなったのは、我が精神には痛手で
ある。
 今、季節が進み、風呂で体を温めた方が良い季節が始まりかけた。
 でも、未練たらしくシャワーを決行していたら、先週、風呂場を出た
途端、ぞわっ。
 風邪を引いた。
 と思ったら、熱はなく、しかし咳が治まらず、アレルギーの再発を疑
い、処方されていた漢方薬を久しぶりに飲み、ちょうど通院の日が来て、
私の咳の仕方が以前と同じだと医師に指摘され、勤勉に薬を飲むが、治
癒は遠い。
 それでも、シャワーに固執
 なんで私は風呂に入りたくないのだろう。
 飽きたのかなあ。
 温泉も、血行が良くなってアレルギーの症状が出やすくなる、とわか
ってから、目くじら立てて温泉温泉と言うほどでもない、と考えるよう
になった。
 ポリフェノール信奉で食べ続けていたチョコレートも、ふっつり食べ
なくなった。良質のカカオのを選んでいたんだけどなあ。
 もしかして私、そんなにチョコレート、好きじゃないのかも。
 だとしたら、私は風呂が好きじゃないのかも、ってことになるのか。
 このタイミングで、萩原欽一が、風呂が大好きだったが、五十年来、
入っていない、温泉でもシャワー、という記事に遭遇。
 ただ、彼の場合、みんなが休んでいる時に仕事をすると何かが生まれ
るからだとか。
 うーん。
 私は、風呂で瞑想っぽい時間の方が閃くタイプだからなあ。