手作りできる強み

 やんごとなき人々の日常に憧れ、模することで、言葉や文化が下に広
まるように、裕福な人達が、天然自然の食の贅を自慢してくれれば、添
加物に頼らぬ技術革新を食品業界に期待できる、と言いつつ、実は、本
気では信じ切れていない。
 サボテンに寄生する虫をすりつぶして綺麗なオレンジ色に仕上げる健
康飲料。大量の添加物で水増しするハム・・・。
 そういう工場で働く人達が、現場を見てしまったせいで、特売用に作
られた自社製品を買う気になれないことはあっても、会社を出れば、即、
無知な私達と同じ目線の消費者になっているだろうことは、ますます百
花繚乱の食品コーナーが雄弁に物語っている。
 それほど便利な加工食品。
 世界の億万長者とて、完璧に排除した生活はできていまい。
 ただ、普通の庶民は、その味をこそ本物と感じ、手作りを美味しいと
感じられない舌になっている可能性はある。
 でも、それでもいい、と私は思っている。
 味覚のことはいい。
 しかし、ばら寿司を作るのに、どれほど時間と労力がかかるか知らな
いために、店頭のばら寿司を見て、もし自分が作るとしたら、と発想す
ることがないとしたら、それは、かなりまずいだろう、とは感じる。
 お金を出せば、なんでも買える。お金がすべて。そういう環境に育っ
たために、手抜きさせてもらえるありがたさも、食べ物のありがたさも
わからない。
 十分で平らげる料理を作るのに一時間かけるのは馬鹿馬鹿しい。
 そんなのはアウトソーシングして、もっと有意義な、もっと知的な、
もっと高尚なことをするために人生はある。
 その道を行くにしても、お金がなくてもなんとかできる自立能力がな
いまま、その道を行かされるのは、いきなりはしごの高い所に置かれて、
そこからさらに上を目指せと命じられているようなもの。
 土台をすっ飛ばしているから、そういう人生は精神的にひ弱で、何か
の拍子に、生きている実感が持てなかったり、要するに人生って消費消
費の連続なんだろ、と虚無なる達観に陥ったり。
 私ですらそうなりかけたが、幸いなことに、私は、料理という労働に
時間を割くことで、命に不可欠のそれこそが生きる原点なのだと再認識
し、なにかしら悟れたところはあるし、生きる活力も取り戻せた。
 今の子供達がそうなったら、どこに解決法を見出すのだろう。
 彼らより早く生まれて良かったなあ。
 女に生まれたことも。
 いや、男達には、畑仕事やリフォームなど、いろいろ選択肢はありそ
うだ。