ご飯に昆布の佃煮というのは私が好きなものの一つで、いつも、スー
パーで安売りになった時に買っていたのだが、粘りつく舌触りと市販の
肉団子のタレに通じる妙な甘ったるさに軽い拒絶反応が起き、近頃は買
いたくても買えない。
『食品の裏側』という本を読んで、はは〜ん、メーカーが、調子に乗っ
て増粘多糖類の比率を上げすぎたのかも、と勘繰られてきた。
無着色のたらこは、着色料を使っていないだけのこと。
減塩であれ昔風であれ、なぜか訳のわからぬ添加物もいっぱいで、自
家製とは異なる梅干し。
その程度なら、買う前に商品の裏の表示を見ているので、この本を読
まなくても気づいていたけれど、もし本物の牛乳が原料なら、コーヒー
フレッシュの賞味期限はなぜにかくも長いのだろう、と頭をよぎった疑
問を、水と油と白い粉の化合物だと突き止めるまでの探究心は発揮でき
なかったし、〃○○の塩〃と書かれたのは実は再生加工塩だなんて、表
記しなくていいのであれば、そこまで読み解くのは素人には不可能だ。
少し高くても、デパ地下の総菜売り場にでも切り替えようか、と自衛
の策で思いつくと、ばら売りや店内で製造販売されるものも添加物の表
示義務がないと言われたら、吸収するのは残留農薬にとどめるべく、や
っぱり手作りが一番ってことになるのね・・。
心を引き締めようとするものの、鰹と昆布でだしをとるという日本人
の根幹のところで、回れ右をしてしまう。
食べるとは、生き延びること。
見よ。野生の動物達は、そのために、日々、ほとんどの時間を費やし
ている。
ただ人間だけが、化学の力を使うことで、そこから抜け出すことがで
きた。
食品にもスナック菓子にも食品添加物。
できるだけ排除したいが、完璧に排除するのは無理。
そのおかげで、食品が日持ちし、しかも安く買えるのだから。
けれども、安さを追求して人工的に味を操作し、また、見た目の綺麗
さを求めて色付けしたら、やたらと消費者に受けるので、その路線を過
剰に突っ走っているのが現代なのではないか。
本物という観点からは、昔よりむしろ圧倒的に貧しくなっている私達
の食卓。
希望はあるのか。
私は、金持ち層に期待したい。
彼らが、金に飽かして、三度三度の食事に本物へのこだわりを見せ、
それを喧伝してくれるなら、白や赤や黄色の粉を混ぜて作られる似非な
るおいしさへの不満が下の層に広がるだろう。メーカーは添加物依存か
らの脱却を迫られ、その時こそ、進歩の名に恥じない真の進歩が始まる。
そう信じたい私。
甘いかなあ。