サマーニットのノースリーブを着て行ったら、
「もう夏ね」
と言われた。
季節を先取りするのが最高のおしゃれ、と気取ったのではない。
ノースリーブは夏になる前が一番ふさわしい、と聞いて、なるほど、
と思ったのだ。
クーラーがギンギンの真夏に、ノースリーブは寒い。
でも、建物の外に出たら、異常なほど蒸し暑い。
サマーニットも、いくら「サマー」と名の付く夏素材あっても、コッ
トンのTシャツなどより暑苦しく感じて当然ってこと。
納得できたので、ノースリーブとニットは、夏「前」に着尽くすこと
に決めた。
念のため、夏用のショールをバッグに忍ばせておくけれど、まだ、ど
こも冷房が控え目だから、無用の長物で終わってくれる。
ようやく季節に適切な服が選べるようになったと、感激。なんせ、ノ
ースリーブのサマーセーターを真夏に着て、寒いような暑いような、と
困惑している私だったのだから。
ところで、梅雨の晴れた間にちょこちょこ服の入れ替えをして、衣替
えを完了したが、今回も思った。
なんで、こんなに服が多いんだろう。
夏は、一日に何度か着替えたとしても、ほぼ毎日洗濯するし、朝干せ
ば昼には乾くから、少ない枚数で、十分、ローテーションできるはず。
ワンルームマンションですら、住人が死んだら、室内の処分に二十万
とか三十万円、費用がかかると聞いて、自分が死んだら、即、無価値に
なる物達で私の部屋は狭くなっているのか・・・と思うと虚しくなった。
が、服にだけ厳しい視線になってしまうのは、衣替えという定期的な行
事があるせいかも。
春の衣替えの際、外出用の冬物を、とっくりセーター三枚と、シャツ
の上に着る黒のV首セーターに絞ったのは、さすがにちょっとやりすぎ
かしらん。
と、『着るということ』という水野正夫の本に「洋服の暮らしの合理
性は、いかに洋服を持たないか、から始まる」「洋服の場合は、持ちす
ぎないということだけでも、美意識に通じる」と書かれていて、少なく
ていいんだよ、間違っていないよ、と太鼓判を押されたようなグッド・
タイミング。
テレビで芸能人や金持ちの家が映されると、クローゼットに服やバッ
グが溢れんばかりで、そういうが理想だと無意識に刷り込まれてきたと
しても、私は敢然と背を向ければいいわけだ。
ちなみに上記の本。十六年前に発行されたが、すこぶる文章が良くて、
読むのが気持ちよかった。