教える下心

 私は、教員免許を取らずに大学を卒業した。
 取れば、教員になりたくなる。
 だが、クラス授業は、ずば抜けて理解が早い子と遅い子を無視した授業
になる宿命にあり、何とかしたいと葛藤して、結局、私は不幸になる、と
いう未来まで予想されたら、道を絶つしかないではないか。
 資格がないことを後悔する事態に陥ったことは一度もない。でも、助言
を求められたら、「取れる資格は取っておいた方がいいよ」と言うかなあ。
 私の場合は、教えるなら英語、というのも逃げる理由の一つになったの
だが。
 英語が苦手だと、大人になってもコンプレックスに付きまとわれるらし
いこの国の人々の、英語への特殊な思い入れが、切なくて重たい。
 たかが言葉になんで振り回される。
 ところが、我が子に個人的に教えてほしいと頼まれる巡り合わせになっ
た。
 個人レッスンなら、私の内なる拒絶反応は目醒めない。
 その代わり、その子はもしかしたら、数学とか、囲碁や水泳の素質があ
るかもしれなくても、英語でいいの、という思いが湧いてきた。
 それでいいのだ、と思えるようになったのいつだったろう。
 家の仕事を素直に受け継いだだけ、という人もいるが、親の趣味に首を
突っ込んだら、親を追い越しプロになった、という人もいる。
 本やテレビでそういう職業があると知り、それ以外は考えられなくなっ
たという、家族環境から見るとまったくの異分子となる人もいる。
 私と出会ったことで外国語に向かうべく生まれついていたなら、そうな
るだろうし、そうでないなら、そうならない。
 思い煩うことはない。
 そう思えた時ではないか。
 すると、自信が満ちてきた。
 どんな言葉にも、その言葉を遣う国の人達の、言葉にならない心理が反
映されている。
 異国の言葉を学ぶと、それがよく見える。
 そのおもしろさを一緒に楽しもうよ。
 発音記号もしっかり教え、辞書が引ければ、ほとんど自分で解決できる
ようにしてあげるから、ほかの外国語も同じ要領で習得すればいいだけだ
し、まったく別の分野にも、その学ぶ手順を応用できる。
 個人的には、語学の世界にアナタを引きずり込む魂胆で臨ませてもらう
けどね。
 仲間を増やしたい。
 それは、教える立場に立つ者がみな、密かに心に隠し持つ思いではない
か。
 が、私の高校生は、肉体的にきつい部活を最優先する高校生活を選んだ。
 おかげで、顧問の先生に弟子を取られた格好の私は、すこぶる悔しい。