終わらざる夏。放射能汚染

 書評を読んで面白そうだと思ったり、売れていると知ると、とりあえ
ず図書館に予約。
 人気の本は、かなり待たされる。
 『終わらざる夏』がそうだった。
 誰のどんな内容の本で、なぜ予約する気になったのか、なぁんにも思
い出せない今頃になって、ようやく手元に届いた。
「おお、浅田次郎の本だったのか」
 ソ連と目の鼻の先にある日本の領土シュムシュ島に、第二次世界大戦
が終焉した三日後にソ連軍が上陸し、戦闘となった実話を題材にした小
説である。
 私は歴史に弱い。
 本や映画そのものは娯楽とできても、登場人物達と今生きている私や
周りの日本人のあいだに共通点を見いだすことはない。
 中でも戦争物を「ひとごと」「絵空事」と感じるのは、そういう特殊
な状況下では、人々の生き方は緊迫感に満ちるし、人間性の良いも悪い
も凝縮して噴出するであろう、と斜に構えた眼差しになるせいか。
 そして、人々がいかに健気に生きたかを強調されればされるほど、白
ける。
 かように心が動いてしまう私であると気づかせてくれたのは、今放映
中のNHKの連続テレビ小説だ。
 画面がちらっと視界に入るだけで、
「あー、しんきくさ」
 この手の話は既視感で、満腹なんですワ。
 しかし、『終わらざる夏』は、話を今の日本にいちいち置き換えて読
む感覚になった。
 福島原発の事故があったからかも。
 避難所生活は、疎開
 赤紙一枚で引っ張られた兵隊が、
「東京の、大本営のぬけさくどものせいで、一人残らず名誉の戦死だ」
 という意味の言葉を吐き捨てるのは、嘘の求人広告で原発の復旧作業
に借り出されたり、被爆線量の検査もずさんなまま特攻隊要員のように
扱われている作業員の声だと読み替えることになったし、
「参謀たる者がもっとも忌避すべきは、その希望定観測である。前線指
揮官は時として根拠なき可能性に賭けなければならない。だが上級司令
部の参謀は常に冷静に戦局を判断し、都合のよい結果を想定してはなら
なかった。陸軍大学校では徹底して教え込まれる〈希望定観測の排除〉
である」
 という少佐の言葉は、原発関係者への痛烈な当てこすりに聞こえた。
 執筆中に、すでに浅田次郎原発事故を予感していた?
 ハッ。まさかね。
 福島原発の事故は、戦争、ではない。
 じゃあ、なんなんだろう。
 私は歴史に疎いが、過去に幾多の文明や国が滅びたことぐらい、知っ
ている。
 放射能汚染で自滅した国は、まだない。
 それに、日本は「終わりなき世」。
 信じていても、いいですか。