仲秋の名月

 花火が夜空に炸裂し、それを音が後追いする。
 えっ、そうなん・・・。
 前回ちゃんとそう書いたが、実はずっと、その逆を信じていた。
 デジカメを三脚で固定しても手ブレを防ぐべく二秒後のセルフタイマ
ーで写していた去年まで、だから私は、音を聞いた瞬間、シャッターを
押していた。二秒後には花火が開花するだろうと予測して。
 今年一緒に行った男友達が、花火の打ち上げ場所までの距離を音速の
法則から大雑把に計算するという理科系能力を発揮してくれたおかげで、
ブログに書き、アップロードする前に一応念のために確認したら、あり
得ない勘違いをしていたと気づかされたのだ。
 こういうこともあるから、
「自分を信じるけど、信じない」
 という姿勢は大切。
 ところで、十八日のテレビの天気予報は、どの局も十五夜の話一色だ
った。
 毎年、十五夜すなわち旧暦八月十五日に満月になるとは限らないし、
秋雨の季節で晴れる保証はない。が、今年は、その二つが同時に実現す
る強運の年だという。
 なるほど、夜空に黄色く輝くお月様。
 二十二枚撮影した。
 カメラの充電が切れかけ寸前表示だし、一枚か二枚良い出来のが撮せ
れば十分。
 だが、翌十九日は三十八撮影。シャッタースピードやISO感度や露
出を細かく変えた結果を分析しておけば、来年は、この撮影モード、と
いう決め打ちモードで十五夜の月に望めると考えたのだ。
 その割に撮影枚数が少なかったのは・・・その十九日こそ旧暦の八月
十五日なのに、天気予報が一斉にかしましく報じた前日が仲秋だったと
勘違いしたせい。
 その勘違いのまま、翌二十日は百三十枚撮影。撮影モードの検証材料
は多いほど良い、と欲に突き動かされたのだ。
 一眼レフでもないRX100でも月の海や陸が撮せるとなると、月の
黄色い色も正確に写し取りたい、と別の欲も出た。
 これはあまりうまくいかなかったが、風が心地よい夜で、いつまでで
も月を見ていられる。
 もっとも、私が見ているのはカメラのモニター。
 あとで画像を楽しむために、本物の月をおざなりにしているなあ。
 肉眼で月を見、その美しさに感嘆する、網膜にしっかり焼き付ける。
それが一番贅沢なお月見なんだろうにな。
 すると、生まれて初めて、観月の風情というものに思いが至った。
 私なら。
 広い野原か河原に愛する人と並んで座り、時折ぽつりと言葉を交わす
ぐらいで、寡黙に、数時間、月を見上げたい。
 それは、この気忙しい時代に、どんなにか心豊かなひとときだろう。