物は、持ち主の美意識だから

 先日、母が、健康診断で要精密検査ということになり、専門医での検
査に付き添った。
 検査から結果が出るまでの約一時間半、私は最寄りの駅の商業施設で
暇つぶし。
 服などをざっと見て、やっぱり暇つぶしは本よね、と本屋へ。
 入口横に、その店で売れ筋の本が表紙を前にして並べられている。
『わたしのウチには、なんにもない』漫画シリーズの1を手に取り、3
の途中まで立ち読みして、結局、本屋の中には足を踏み入れなかった。
 母の再検査の結果は、異常なし。
 帰宅後、立ち読みした本をちゃんと座って読むべく、図書館に予約。
今、その1と2が手元にある。
 著者は言う。「たくさんの物に囲まれているということは、頭にたく
さんの情報が入ってくるということ。些細なことでも、私をイラつかせ、
ダメージを与えてくる」と。
 私はびっくり。
 物捨てとはなんの関係もない『「かわいそうな私」とさようなら! 
お金はこうして引き寄せる』に、お金はエネルギーで、その新しいエネ
ルギーを迎えるためには、がらくたを片付けよ、がらくたを片付けると
人生が変わる、と書いてあるのとあまりに呼応するんだもの。がらくた
とは、愛着がないもの、使い道がない物、定位置が決まっていない物。
 わかる気はする。
 素敵なお宅拝見とか金持ち芸能人のお宅拝見とかをテレビで見ている
うちに、金持ちも貧乏人も家の中は雑然としているなあ、と感じるよう
になってきたからだ。
 ということは、私の家もそうなんだな。
 一級建築士の夫が設計したという人の家で、目につく所に物がなく、
生活臭を徹底的に排除した、というのを見たが、そういう家を渇望した
建築士の気持ちはよくわかった。どんなに素敵な家も、住人が住み始め
るまでの魅力、となることに嫌気がさしたのだろう。ただ、そんな彼の
家も、収納扉を開くと一気に生活臭。
 ところが、物捨てを病的なまでに極める漫画の著者の家は、それすら
ない。子供が生まれたということなので、今後どうなるのかは興味津々
だが。 
 さて、変則的な長雨が上がり、ベッドの下を隅まで掃除したら、冬用
のボアのスリッパが出てきた。普通のスリッパの何倍もしたのに、視界
から消えたら、なくても過ごせたのである。
 自分自身に呆れて、捨てた。
 そして、目線の先の部屋の角に違和感を覚えたら、壁紙にシミが。
 ぞっとして、本棚が二つ並んだ側の壁を、わずかな隙間から覗いたら、
もっと黒々としたシミ。
 五月の連休は、物捨て&大掃除連休に決めた。