聞き分けのいい脳、悪い脳

 雨上がりには、花びら、葉っぱにコロンと丸い雨粒。
 ああ、綺麗。
 立ち止って見惚れる。
 蕾を見つけたら、毎日、花咲くまでをカメラで追う。
 しかし、みるみる生長するので、目撃できなかった場面を残念に思う
と、その場にじっと腰を据え、見続けたくなる。
 できないことはなさそう。
 けど、その道を行けば狂気だ、と思い、慌ただしい日常に舞い戻る。
 現在二十三歳の東田直樹は重度の自閉症で、直接のコミュニケーショ
ンには難があるが、文章で思いを伝える能力は輝かしく、彼の著書は自
閉症の水先案内人のような貴重な存在になっている。
 そんな彼の本を読み、彼らと私の差は、私が意志の力で引き返すとこ
ろを、彼らは脳に命じられるまま、その時一番美しいと思ったものに臆
せず引き寄せられてゆくことではないかと思った。
 彼らは勝手にずんずん歩いて行く。迷子になろうとも。
 それは今いる場所が居心地悪いから。自分が安心できる場所に行かな
いと、この世で独りぼっちになってしまう気がするせいらしいが、自分
の家にいるのに、
「家に帰らせてもらいます」
 と何度も外へ出て徘徊したがる認知症の人達の心の声のようにも聞え
た。
 自閉症の人が突然けらけら笑い出すのは、頭の中に楽しかった場面が
閃くから。嫌な思い出も、やはり、ついさきほどの事のように頭の中で
再現されるが、この場合はパニックになる。要は時間の観念がなくなる
ということだが、年寄りや認知症の人が昔のことだけは鮮明に思い出せ
るのも同じ脳の仕組みではないか。
 いや、若くても、ある特定の過去だけはきのうの事のように思い出す、
というのは誰にでもあるはずだ。
 それに、PTSD(心的外傷後ストレス障害)のフラッシュバックも、
脳で起こっていることは同じであろう。
 自閉症が特殊に見えるのは、奇声を発する、人と風景の区別ができな
い、同じことを繰り返す・・・など特異な現象が多すぎるせいだが、そ
の行動を命じる脳の支配が強力すぎ、意志の力で制御できないことが一
番の不運かもしれない。
 もっとも、そんな彼らの脳も後天的に学習することはあるらしく、た
とえば、過去に人から怒られたら、怒られた理由よりも普段と違う相手
の表情が心に刻まれ、それをまた見たくなって、わざと怒らせ、喜ぶそ
うで、
「いったん脳が覚え込んだ娯楽を中止することは難しいのです」
 東田はさらっと書いているが、脳の本質を突いて、慧眼である。
 なんにせよ、脳。
 なかなかに手強い相手だなあ。