金運神社で凶

 今週は、二日間、京都で遊んだ。
 火曜と金曜日。
 一緒に行った友は異なる。
 どちらの日も、行くことになっている場所と時間があるが、それ以外
は未定。
 私より京都を知らないそれぞれの友のために、古都の良さに衝撃を受
けてもらおう、と交通の便や時間配分を考えて日程を立てたが、結構悩
んで、最終案を決定した時にはもう行ってしまったみたいな気分だ。
 でも、予定は未定。
 火曜日は、行く時間が取れないだろうと落とした車折(くるまざき)
神社にまずお参りした。行けそうだとわかったのだ。
 きのうも、御金(みかね)神社は諦めていた。社務所が開いているあ
いだに行けそうにない。
 しかし、夕方五時を回って、ようやく日が翳り始めたところ。湿度は
低く、あまりに爽やか。これが歩かずにいられようか。
 お参りするだけでもいい。
 ところが、なぜか社務所は開いていて、売り切れている場合もあるら
しい福財布を買えた。
 車折神社でも買ったから、二つの金運神社で福財布。
 これはもう、どこから見ても、我が深層心理は明白だろう。なのに、
それほど真剣ではない、という振りをしたい私。
 その時刻でも、御金神社にはひっきりなしに人がおとなう。
 そうよね。わざわざお参りに来たのに、金運財運への願望がない振り
をする方が変よね。
 迷いを払拭。
 帰る時は、堂々と、金ぴかの鳥居の下で、友と写真を撮り合った。
 私達のあと同じように撮り合おうとした高齢の夫婦には、私が申し出
て、二人並んで記念撮影してあげた。
 ところで、私は縁起物の小さな御守り入りのおみくじが好き。
 御金神社にあったので、一つ引いた。
 蛙だ。
 財布の中の福枡(ます)、福鎚(つち)、毘沙門天(びしゃもんてん)、
達磨(だるま)に新しい仲間が加わる。
 それが嬉しくて、「凶」のご神託にも、うろたえない。
 友が、その縁起物に興味を持ち、おみくじを引いてきた。
 蛙だ。
 もしやと思ったそうだが、彼女も「凶」。
 おみくじの番号は違っても、凶で蛙。
 二人で大笑いし、おみくじは枝に結んで持って帰らないという友のた
めに、それぞれのおみくじと蛙を並べて写真におさめた。
 凶を嫌う友を見ているうちに、ふと不安が込み上げてきた。
 私は、車折神社で引いたおみくじも「凶」だった。
 金運財運の二人の神様から凶を言い渡されたことになり、かなりまず
いのではないか。
 けど、家に帰って、過去の四十二枚のおみくじを見返したら、凶は六
枚、大吉は七枚。
 まあ、いいか。
 まだあともう一回凶を引いても大丈夫、と思ったわけではない。
 強いて言うなら、「凶」慣れ?