凶は15%

 京都の車折(くるまざき)神社と御金(みかね)神社は、金運財運の
神様。
 先日、二日間あいだを置いただけで両方の神社にお参りし、おみくじ
を引いたら、どちらも「凶」。
 金運の神様からの「凶」のお告げにたじろぐが、立て続けの「凶」っ
て滅多にない奇跡かも。
 家に帰り、保存してあるおみくじを数えたら、今回のを含めて全部で
四十二枚。
 うち凶は六枚、大吉は七枚。それぞれ、全体の約十五パーセントを占
める計算になる。これって凶と大吉の実際の配分率に限りなく迫る数字
かも。だとしたら、私は、私自身のおみくじ体験から「確率は収束する」
を証明していることになる。
 今どきの、へたれな精神に迎合して「凶」をなくした神社やお寺もあ
るようだが、凶がしっかり健在しているとわかって、嬉しい。
 凶を引いても動じるにあらず。
 ただ、不思議なのは、おみくじが凶だった場合、続く数日間は、どこ
で引いても凶か、それに近いおみくじになること。大吉なら、大吉か、
その周辺。なぜかは知らねどそうなる不思議によって、そのおみくじを
引いたのは決して偶然ではない、と真剣に受け止められるのだった。
 御金神社では友も凶を引き、大笑い。
 そのあと、私が調べてあった中の一つに夕食を食べに行った。
 初めての店。
 店の前まで来て、ためらう私達。
 店のドアに手をかける時も、開けてからも、ためらいは続く。
 二人客がひと組。
 一人で切り盛りしているらしい店主に示された席に座ってから、私は
友に言った。
「出てもいいよ」
 雰囲気に違和感を感じたら、失礼だと睨まれようとも、一瞬の気まず
さを甘受し、直観に従う。理性で直観をなだめても、そうしなければよ
かったということになる経験を重ねて、そんな潔さが身についたのだ。
 が、ここでいいと友は言う。 
 店主の頭の中をあれこれ想像し合い、ひそひそ声で互いの見解を披露
し合うという妙な夕食になった。
 二時間後、店主がテーブルからすべての皿とグラスを引き下げる。
「もう帰れってことかなあ」
 置かれた領収書は、紙切れに合計金額を走り書きしたもの。
「よく、この店、潰れないねぇ」
 つくづく感心して店をあとにしたが、人生に一定の割合で不運は付き
ものとするならば、こういうささやかな店選びの失敗で厄落としができ
るのなら、ありがたいかも。
 旅行計画には完璧なまでの予想能力を発揮できる私が、唯一はずすは
食べ物屋選び。
 それを厄落としの定番にするのも有りだろうけど、それでいいのか。
 考え中。