前世があるなら

 以前、テレビで見た。
 北極圏は雪原が減少し、また厚みが少なくて、大きな白熊が乗るとバ
リバリ割れることもある。
 仕方なく、別の大地を目指した白熊がいた。
 泳ぎに泳いで奇跡的にイギリスの、とある海岸に到着。
 その間、満足に食べることもできなくて、身体はガリガリ
 毛並みは茶色く汚れている。
 それでも、氷はなくても、その体重をしっかり受け止めてくれる大地
に辿り着いたのである。いっときの休息。
 だが、そこは人々が住む沿岸の町であった。
 死と紙一重の時間を生き抜いた白熊は、銃で呆気なく殺された。
 私は、動物園の白熊を思った。
 片や人に危害を加えるからと殺され、片や入園料を払ってまで見られ
る存在になる。
 そのどちらになるかは運命の気紛れ。いや、人間の匙加減一つ。
 自分の都合で大切にしたり殺したり。
 人間って、一体、何様なの。
 万物の霊長であると自画自賛して、やっていることと言ったら、自分
達の役に立っているあいだは保護するが、増えすぎたり、山から降りて
人間を襲ったり畑の作物を食べ始めると、害獣という名を与えて、殺し
を正当化。
 命、と言う。
 生まれ変わる、と言う。
 素朴な疑問が芽生える。
 人にみな前世があるとしたら、辻褄が合わない。
 だって、祖先の数は、今の人口より圧倒的に少ない。 
 あるいは、命は、すべての生きとし生けるものの総数で見るというこ
となのだろうか。
 今、人口が爆発的に増え続け、反対に他の生き物達は総数が減ったり
絶滅したりしているけれど、生き物の総数で見れば数は一定に保たれ、
つまり地球上の命の数は増えも減りもしていないのだと。
 そうであるなら、新たに次なる疑問。
 人はそれぞれに前世でやり残した事をするためにこの世に生まれてき
た、と説明されるけれど、今回、初めて人間として生まれる人もいなく
てはならないことになる。
 そしてもし、人間として生きることで精神が磨かれるのだとしたら、
初めて人間として生まれた人達は、みな、言語道断の最悪なる人格から
スタートして、精神の向上を目指すことになるのだろうか。
 だって、生まれた時から個性がある、と言われても、その元となるも
のなしに生まれてくるのだから。
 もしかしたら、それゆえ、今回初めて人間として生まれた人が、人と
してもっとも気高く完璧なのだろうか。それが、生まれ直すたびに薄汚
れていく・・・。
 考えていると、いろいろ疑問が沸く。
 誰か教えて。