桜三昧

 ロシアのウクライナ侵攻が始まって一ヶ月と聞くと、
「もう」と愕然とする。
 だが、今日は三月二十六日という事実には、
「え、まだ三月」と思う。
 理由は我が家の桜だ。
 これまで桜は外で愛でる物と思っていたが、三月三日に桜の盆栽を買った。
 馴染みの花屋の店頭に出てからは、行く度見るが、蕾がなかなか膨らまな
い。焦れる。手元に置いたら、見る回数が増え、きっともっと焦れるだろう。
 私は集中したら時間を忘れてのめり込めるが、エンジンがかかるまでに時
間がかかる。お尻に火が点くから集中せざるを得なくなるとも言えるだろう。
 そして、あとは結果を待つばかりということになると、今度はマテシバシ
がなくなる。
 マテシバシの「しばし」の漢字がわからない。あっ、「待て、暫し」。
「しばらく待て」ができないという意味で、「待て暫し」と書いてもいいけ
ど、現代は「待てしばし」と書いた方がいいんだろうな。
 今初めてこの言葉を深く認識できた。ちょっと嬉しい。
 話を元に戻すと、桜の開花という私の力でどうにもできないものをただ待
つしかない状況は私に辛抱強さを学ばせてくれるだろう、と閃いたのだ。
 まあ、ちょっと高いけど買いたいという思いがあって、そんなこじつけを
思い付いたのかもしれないけれど。
 とにかく桜の盆栽を買った。
 三月十一日には生花だ。
 シャッターが降りた店の方が多いショッピングセンターの前に野菜と花の
露天が出ていて、桜の花は今にも咲かんという風情。
 ふらふらと吸い寄せられた私は、今年は桜と縁があるのか。
 三本、五百八十円。
 値段に一瞬ためらったが、
「花が散っても葉っぱが楽しめますし」
 という言葉に背中を押された。
 翌日、行きつけの店に同じ桜が出た。
 一本、四百四十円。
 露天で買って正解だった。
 翌日から咲き始めてくれたが、ちょっと困惑する。
 細い五枚の花びらが星形に広がる啓翁桜。
 造幣局桜の通り抜けで見た数々の桜を思い起こすなら、桜はソメイヨシ
ノだけではないとわかるだろうに、目にするのはほぼソメイヨシノという視
覚の記憶は、「それこそが桜」という思い込みを私に植え付けていたのであ
ったか。
 盆栽の一才桜は、部屋が暖かいからだろう、三月二十日に初めの一輪が咲
くと、閉じていた蕾が二時間後には開いたりして、急に時の流れが早くなっ
た。
 今、時よ止まれ、とばかりに写真を撮りまくっている。
 我が家は、早くも桜の季節、桜三昧。
 だから、えっ、春本番はまだなの、と思ってしまうのだった。