ルーシーの末裔

 FIFAワールドカップ勝戦で、フランスのジダンがイタリアのマテラ
ッツィに頭突きを喰らわせ、レッドカード退場となった理由がいろいろ
取り沙汰されている中に、人種差別的発言がされたのではないかという
憶測が飛んでいて、それは、私も、もしかして、と想像していた。
 私は、たとえば、日本チームの試合を見ながら、個々人の顔立ちにも
興味が向かい、同じ日本人の言ってもバリエーションが多彩だなあと感
嘆して、それぞれのルーツに思いを馳せたり、両親はどういう顔立ちな
のだろうと思ってみたりするのを、外国チームの試合中、大いに楽しん
でいた。ところが、フランスチームは、そういう想像をさせてくれない
ほどに国という枠を超越していた。
 フランスは移民を寛容に受け入れる国だ。私が二度目にフランスに戻
った際、知人達に「今度は最後までフランスに住むのか」と問われ、そ
ういう発想が普通に出てくること自体に唸らされたが、「だったら偽装
結婚でもしなくっちゃ」と言うと、「何で偽装でなくっちゃいけないん
だ」とか「そこから始めてもいいじゃないか」と言い返され、そう言わ
れたら、「そりゃそうだ」と納得するのが理性ある人間のように思え、
それ以上の会話になるのが怖くて、話を打ち切った。でも、こういう会
話があまりに頻繁だったので、今後もずっと住み続けるのかと問う彼ら
の頭の中には、自分達の国は本当に住みよい国なので、自分の知り合い
の外国人にはぜひ住み続けることで自分と同意見であると表明してほし
いと願っている感じを受けたのは、私の思い過ごしだろうか。
 ただ、移民が完全にその国の社会に同化できればいいのだが、自分の
内なる血が求めてしまうものまでは捨て切れず、単に社会的恩恵を受け
取っているだけと見なされると摩擦が起こることになる。が、それこそ
血が命ずることだけに難しいなあ、とも思う。両親の世代からフランス
に住むアフリカ系の知人が「フランス料理は味が薄くてまずい」と断言
した時、本人の血を思えば、そうだろうなあ、と共感でき、でも、この
国に住みたくて住んでいるんでしょ、と思うと、それはなあ…と思って
しまった。胃袋のことは、一番簡単そうで、案外、最後まで妥協できな
い厄介なものになるような気はする。
 それに比べれば、名前など、どれほどのこともない。別のアフリカ系
の知り合いは、日本の宗教を信じる両親のあいだに生まれて、Hanakoと
いう名前である。その彼女に生まれた子供の名はToshiro。
 一方、身近なところに目を転じてみれば、日本の知人の子供は、漢字
の読みが「ありす」だ。