早寝、早起き、朝ご飯

 個人的に英語を教えに行っている家で、小学一年の子は、夕方六時ぐ
らいになると、すーっと二段ベッドにのぼって昼寝を始める。
 どうせなら、早めに夕食を食べ、昼寝ではなく、そのまま朝まで眠っ
てしまえばいいのにと思うが、母子家庭で、おかあさんが七時過ぎに帰
ってきてからの夕食となるため、そうは言えない。
 でも、そういうよんどころない事情とわかっていて、私は、子供達に
「早寝早起き!」と訴える。それが、子供達の生態リズムを尊重した在
り方だと思うからだ。
 これは本来、子供時代だけに当てはまることではなく、大人になると
多少の無理が利くようになるだけで、言うなれば、子供達が見せてくれ
る本質が人間の原則。大人になってからの夜更かし・徹夜・朝食抜きな
どなどは、亜流・傍流。養老孟司が「今の時代は子供に価値を置いてい
ない」と言うのは、その亜流・傍流に子供を巻き込んでいるという意味
なのだろう。
 以前、フランス人の知人夫婦が、生後六ヶ月の子供を親に預け、バカ
ンスで日本を一ヶ月間訪れた。
 別の夫婦は、生後半年経ってから、週に一度、子供を実家に預け、羽
根を伸ばす生活スタイルを築いた。
 当時の私は、初老の知り合いが「今日は二歳の孫を預かっている」と
いうのを聞いただけでも、なんとまあ自分勝手な子供の親、と思ったも
のだったが、今は、そんな風に周囲の手を借りることは、結果的には子
供自身のためになるんだ、と見るべき視点が変わった。
 彼らは、必ずしも実家の親とうまくいっているとは限らない。それで
も、大人の交際術で、こまめに行き来し、必要な時に積極的に子育て支
援してもらえる関係を築いている。子供も、生まれた時から親離れを教
育され、まさに深淵なる、そして誰もがそれなりに幸せになる策略であ
る。
 もちろん、日本は、そうしたくてもできない社会であるかもしれない。
二つの国のどちらかを選べる時、「でも、もう少しゆったり生きたい」
と日本を捨てる人達が多いのは、大人の亜流・傍流でも適応しきれぬ過
酷な社会ということなのだろう。
 政府が予算を付けて「早寝早起き朝ご飯」運動を乳幼児にまで拡大す
るらしいが、そんな当たり前のことを家庭で実行できなくしている根本
は大人の働き方だろうから、それを何とかするのがよっぽど手っ取り早
いと思うのだが。
 夏休みに、朝のラジオ体操の音楽と子供達の歓声が聞こえなくなって
久しいなあ。