父親力

 昔は、先生のことを話す時、親が敬語を遣ったが、今は、それどころ
か、子供の前で先生の批判をする親も多いとか。そりゃあ、どんな先生
でもいたらないことはあるだろう。だが、そういう話は子供のいないと
ころでするのが親の分別。でないと、子供は先生を信頼しなくなる。
 そう話したら、「あ、私、子供の前でばんばん先生の悪口言ってる。
だって、あまりにひどいんだもん」と友達が言った。
 やれやれ。
 親の学歴が先生と同等かそれ以上ということも多くなったのがその一
因かもしれない。
 では、父親はどうしているのだろう。子供の教育にどう関わっている
のか。
 企業の業績が回復傾向にあるのに勤労収入は増加していないそうだか
ら、子供を塾にやらずに自分が教えれば、無駄な出費が抑えられて一石
二鳥、と思っていたら、そういう父親も増えてきたそうな。
 でも、テレビでその様子を見て、「あ、やっぱり、それは駄目」と、
私は子供の立場に立って、浅はかだったと気づいた。
 親は、どんなに下に降りてきたところで、子供にとって絶対的な権威
者である。そういう人間が他人でもできる先生の役まで引き受けてしま
うと、子供は逃げ場を失う。どんなに親の頭が良くても、いや、良けれ
ば良いほど、子供は発奮したり、いじけたりと、余計な感情に襲われか
ねない。
 私の父は、ドライブに行く際、通りがかる地方の特産品などについて、
聞かれもしないのに講釈していた。
 友達の旦那はやたら歴史に詳しい人で、頼んでもいないのに、神社の
由来などをいろいろ話してくれてたっけ。
 直接、学校の試験の点数に結びつくことはない。でも、親が自分の好
きな分野のことを得々と話すのを聞いていると、子供は、勉強とは、生
活に密着して生きる楽しみを深めてくれるんだなと学べるし、知識とは、
さまざまな理解が相互に響き合い、より高い視点でものをとらえられる
ようになることなんだと予感できるようにもなるだろう。
 家庭教師先の中学生と指切りをしたら、「針千本って、針なん、魚な
ん」と聞かれた。針を呑む痛いイメージしか思ったことがない私は、そ
ういう魚は知らない人の方が多いだろうから、ますます針だ、と思いつ
つ、正解を求めた。広辞苑では見つからず、ウェブ上の辞書で「針」と
出た。が、テレビで芸人が魚だと言ったらしい。そして、魚もこの字を
書くと知り、調べた結果に一抹の不安。
 本当は、どっちなんだ。