続けば、本物

 小学三年生の思い出は、運動会。
 運動場で父親に肩車をせがみ、誰よりも高い所から友達を見下ろして
良い気分になったのも束の間、早く下に降ろしてくれと父をせかした。
 急に、そんな子供っぽいことをしている自分自身が恥ずかしくなった
のだ。
 大人になり、フランス人達と地中海に面する海に行った時。
 彼らは嬉々として泳ぎ出したが、十七度の海は、私にとって泳ぐ海で
はないので、一人、波打ち際に立ち、水平線を見ていた。
 私の左手に小さな手が触れた。
 二歳ぐらいの金髪の女の子。
 私と手をつないで、海に向かいたがる。
 振り返ると、母親が浜辺に座ってこちらを見ている。
 じゃあ、いいか。
 その子の手をしっかり握り、海に二、三歩進んだ。
 一緒に足元に波を受ける。
 海を見る。
「冷たい」
 片言で女の子。
「うん。冷たいね」
 さらに女の子が進みたがると、
「これ以上は危ないから、駄目」
 しばらく波と戯れて、浜辺の母親の元に返した。
 ふーむ。子供は、自分の親じゃなくていい時もあるんだ。
 独身、子なしだと、かつて自分自身も子供だったのに、子供のことが
まるでわからなくなるものらしい。
 そう言えば、七歳と五歳の兄弟に一緒に英語のレッスンをしていた頃、
下の子がちょけるので、強制的に私の膝の上に座らせたら、それを見た
七歳兄が、
「いいなあ」
 と呟き、私は、
「えっ」
 面食らわされたっけ。
 ところが、今度はその七歳兄がふざけるので、
「そうか。まだ赤ちゃんなんだ。じゃあ」
 私の膝の上で彼を赤ちゃんみたいに抱く振りをしたら、きっと最高の
罰になる。彼はクワッと飛びのき、真面目に勉強する方を選ぶ。
 そう信じたのに、私の腕の中でじっとなされるがままの彼。
 なんか調子が狂う。
 あとで、その子の母親が、
「嬉しかったんちがう」
 そういう子供扱いを嫌うようになるのは、私が父の肩車を恥じた小三
ぐらい以降なのかも。
 だが、恋の季節が訪れると、子供の頃の肌の接触願望がよみがえる。
 乗客の少ない昼間の電車で、高校生カップルの女の子が、男の子の肩
に頭をもたせかけて寝ているのに出くわしたことがある。
 でも、うそ寝。
 女の子は半目を開けて、
「どうよ、私達」
 自慢したげに、まわりの乗客の反応をうかがっているものだから、い
けずな気持ちが交じった心で、私は切に祈った。
「結婚しても、中年になっても、おばあさんになっても、いつまでもダ
ンナとそうできるあなたでいるのよ」
 だったら、うそ寝している今のあなたを尊敬する。