時間を捨てない

 朝、化粧水を顔につけようとしたら、顔より前に眼鏡があった。
 え、いつ眼鏡をかけたんだっけ。と言うより、何、寝ぼけてんだ私。
 そして、一日中、生あくびとなったので、これはもう、前の晩、寝る
のが遅かったせいだ、と確信する。
 人間のからだが持つ一日の単位は、太陽光線などで調節しないと二十
五時間というだけあり、寝る時間を遅くずらすのに、さほど努力はいら
ない。むしろ、なんだ、まだまだいけるじゃん、と自信が満ちてきて、
朝までだって起きていられそうな気分になる。
 ところが、徹夜までいかなくても、夜更かしすると、翌朝、寝坊し、
ちょっぴり昼寝をしても、からだのリズムが元に戻らないことを、生あ
くびが教えてくれる。
 英語教室に来ている五歳児が生あくびを頻発するのを、なんでかなあ、
と見ていたが、昼寝しないと持たない身なのに、たぶん、昼寝をしてこ
なかったせいなのね。そういう日は、見るからに集中力を欠いて、私の
レッスンは、急遽、なんとか時間をやり過ごさせるのが最大目標に切り
替わる。
 しかし、そういう気だるさに身を任せられるのが休みの日の特権。心
が弛緩して怠惰になればなるほど、平日との落差が実感され、ますます
休日という感じがしてくる。ああ、幸せだなあ。
 本当にそうか。
 心が弛緩するのならよいのだが、頭が正常に働かず、朦朧としている
だけではないのか。で、無為に時間が過ぎるのを待っている。
 そういうたまの特別がもたらす負の効果も、あの人達にはよくわかっ
ているんだろうな。あの人達、と私が思い浮かべたのは、草刈民代、佐
伯チズ、武田久美子だ。彼女達の日常は、バレエや美白、美の具現が人
生の背骨を貫くたった一つのことになっていて、そのために優先順位も
明確ならば、努力も犠牲も惜しまない。そして、まあこのくらいはいい
か、と自分自身を甘やかしもしない。
 彼女達に完全にオフの日というのはないのであろう。気持ちの中に、
まず、ない。
 それでは息抜きがないではないか、と思うとしたら、それは、仕事を
労働ととらえている人の感覚である。
 それでも、捻くれ根性で、人生たった一つのテーマのために様々に不
自由を強いられるのは損な生き方ね、と発想してみようとするのだが、
一つのテーマに縛られない人生だが、それだけ自由で実り豊かかと自問
すると、はい、そうです、と答えられない私は、「一所懸命」が「一生
懸命」になっている人達の生き方に強く憧れる。