別れるに時あり

 学校や職場で一生の友と言ってよいほど親密になり、次なる道が異な
ろうとも、そんなことぐらいで壊れる仲じゃあない、と思っていたら、
徐々に疎遠になって、限りなく無に近づくことはよくある。
 儀礼にすぎない年賀状が最後の砦となってくれるならまだしも、それ
すら途絶えれば、本当に、過去の記憶に封印される。
 もっとも、何年かぶりに同窓会を思い立った熱意の人のおかげで関係
が復活するようなこともあるから、人生、何が起こるかわからないのだ
が。
 今回、私は、前の職場と、知り合いのフランス人を結びつけたことか
ら、久しく年賀状だけの関係になっていた同僚、それすらなくなってい
た同僚とも再会する機会に恵まれた。
 そこで思い出されるのは、別の同僚のことだ。
 パリにいた時、「今、ロンドンなの」と突然かかってきた電話の声が
華やいでいたのは、新婚旅行だったからだろう。
 夏でも寒い、いや、暖房を入れない季節に、追い炊き機能がない風呂
が標準の国では、湯船を出た途端、肌寒く感じるのだが、不意の電話に
慌ててタオル一枚で浴室を出たとなれば、一気にからだは冷える。しか
し、国際電話であるからして我慢をし、よく電話番号がわかったわねえ、
などと、たぶん、私の実家に問い合わせたんだとすぐに想像がつく話で
無駄に電話代を嵩ませぬよう配慮して、最重要事項だけを話題にしても、
時はまたたく間に過ぎる。最後に、結婚式の写真、送るの忘れないでね、
と念押して電話を終えたが、二度目の音信がないまま、今に至っている
のである。
 すると、今回再会を果たせた同僚達と早速ディナーの約束を取り交わ
したけれど、いっときの線香花火で終わるのかなあ、と想像されてくる。
 人との関係の賞味期限、というような思いが心をよぎったわけだ。
 あんなにも深く同じ時を共有できたのは、その時、互いが互いにとっ
て必要不可欠だったから。
 一生は続かない。
 なればこそ、「一期一会」という言葉が重みを増す。
 ただ、私は、これが最後かも、と意気込む行為が心に重たく感じられ
るせいか、個人的には「会者定離(えしゃじょうり)」を好む。
 あと戻りできないと気づいてから、ああ、人生だわねえ、と、しみじ
み確認して、済ませようというのだ。
 今年の桜は、事前の開花予測を裏切り、ようやく花がほころび始めた
ところ。
 来年も見られる確証のないフランス人は、はやる気持ちで満開を待ち
焦がれている。
 その姿が妙に新鮮に見える私。
 いけませんねえ。