脳波で恋愛

 学校に行き、社会人となって、結婚する。それが人生の大きな流れと
するなら、最初の二つのレールにはすんなり乗れたのに、最後の一つは
難関となって私の前に立ち塞がった。
 でも、そのことに葛藤はなく、反対に、なぜ、その人を配偶者に選ん
だのですか、という不思議を、ぜひとも、そちら側に行った人達に解読
してほしい。
 で、身近な友には、いつも質問した。
 より多くのデータを手に入れて、調査結果の精度を高めようというの
ではない。たった一人でも、私の腑に落ちる回答をしてくれるなら、私
は満ち足り、あとに続く勇気だって持てるかもしれないではないか。
「好き」の気持ちのまま突っ走れば最高の結婚に直結するという保証は
どこにもなく、愛情と条件の比例配分が大切。それでも、根底に、その
人を好ましく受け入れる気持ちがあるのは間違いあるまい。
 ところが、結婚前の一番心浮き立つはずの時ですら、この世にこれ以
上の人はいないと臆面もなくのろける人はいなかったし、結婚してしば
らくすると、ますます説明が意味不明になる。
 実物の旦那と対面すれば隠された秘密が発見できるかも、と意気込ん
でも、私を待ち受けているのは、さらなる混迷。
 ねえ、この人のどこが魅力的だったのォ・・・。
 答えは意外なところからもたらされた。
 「脳波」だ。
 人が何かを選択する時、脳波を見ていれば、その人がそれを選ぶ前か
ら、それを選ぶとわかるらしい。
 なぜなら、その時、脳波が揺らぐから。
 よって、選んだ理由に何が語られても、すべからく後付けとなる。
 明快な答えが聞けなくて当然だったわけである。
 そして、恋愛の場合、そうやって脳波が揺らいだあと、その人といる
ことで、快楽を生み出す神経伝達物質ドーパミン〃がわんさか出れば、
習慣性となり、ニコチンや覚醒剤でなくて恋愛ゆえ、「恋愛中毒」者の
一丁上がり、となる。
 ただ、自由意志ではなく、単に脳波が揺いだだけという論理を逆手に
とり、じゃあ、犯罪でも何でも、自分に責任はないんだ、と喜ぶとした
ら早計で、人に、厳密な意味での自由意志はなくても、否定する意志は
あり、むしろ、否定することで、自分なりの意志や個性を発揮するとい
うことを付け加えておこう。
 つまり。
 脳波が揺らいでも、最後の最後に、否定する意志を行使してしまうの
が、恋愛における私だったようだ。
 この学びを、私は、今後の私に生かせるだろうか。