母が、左腹が痛い、と言い出した。
こういう時に限って、世間は休日。
私はインターネットで救急病院を探し始めた。
五年前のちょうどこの時期、母は胃腸の病気で一週間ほど入院した。
軽い気持ちで医者に行ったら、即、大病院に入院となったのだ。
そんな経験があれば、「あの時とは違う痛み」と母が言っても、万一
を予測しておくのが正しきリスク管理というものであろう。
救急病院は意外な近さに見つかったが、あと三十分ほどで診察時間が
終わるまではいるという医者は内科医。胃腸の専門医でないなら、行っ
ても無駄足になるかなあ、と思案していると、母が「脂汗が出る」。
じゃあ、救急車ってことね。私は覚悟が決まった。
ところが、母は「救急車なんていい。じっとしていたら治る」
そういう根拠のない痩せ我慢が初動態勢のまずさとなる場合も多いの
に、と苛立つものの、首に縄を付けて連れて行くわけにはいかない。
もっとも、母は、あしたになったら医者に行くと言い、夕食を抜いた。
前回、口からの飲食をストップし、点滴で栄養補給することで胃腸を
休ませるために入院を宣告されたのに、病院に着く頃には昼食時間が終
わっているだろうと、にぎり寿司を一つ二つ摘んで来たと告げ、「まあ、
いいですけど」と看護婦さんに苦笑されたことに学んだのであったか。
あしたまでなんともありませんようにと祈りつつ眠り、翌朝四時頃、
母がトイレに立った気配を感じると、気になって私も起き出してしまい、
どうせ入院になるだろうから、今のうちに準備しておいてよ、と母に言
うと、
「もうできている」
下着やタオル類やパジャマ類は新品を洗ってひと所にまとめてあり、
専用のバッグも買ってあって、詰めればいいだけなのだとか。
コップやスプーンなど、足りないものもまだ幾つかあるけれど、そう
いう物なら、私が適当に買ってくれば済む。
朝一番で医者に行く時、入院必需品も持ってゆき、今度こそ、そのま
ま大病院に直行できるよう母に指図した私のあまりの用意周到が、母の
運命を司る者をたじろせたものか。
薬を処方されただけで終わった。
安堵した母は、すぐさま、『百均』でお気に入りのふた付きコップな
どを見つけてきて、入院準備の精度は限りなく百パーセントに近づいた
模様。
なかなか出番がなくて、いつしか存在自体が消えた、大地震用のリュ
ックと同じ運命を辿ることはないと見ているのだが。