リビング学習

 頭の良い人は、周りがどんなに騒がしくても、涼しく集中力が発揮で
きるそうな。実際、勉強の良くできる子は、個室ではなく、皆が集う居
間や台所のテーブルを勉強場所としていることが多いんですって。
 私が英語を教えている家は、居間の真ん中に大きな丸テーブルがあり、
部屋の隅には子供達の勉強机。
 中央のテーブルで、まず小学生の子達にレッスンしているあいだに、
中学生に、私が用意した英語のプリントをしてもらう。背中に小学生相
手の会話レッスンを聞きながらではうるさくて集中できないだろうな、
といつも同情していた。
 それが。
 ヒアリングを「簡単」と言えるようになった。
 学校の授業で、オーストラリア人の講師が喋った言葉がわかったのは
自分だけで、クラスのみんなに訳してあげたと言うのである。
 週一回のレッスンだと、満足にヒアリングの時間が取れないので、こ
れはもう、下の子達のレッスンで耳が鍛えられたとしか考えられない。
 もっとも、What did you do? をうまく発音できなくて、台所で聞
いていた小学二年生にさらっとうまく発音されて悔しがるようなことは、
仕方なく起こってしまうのだったが。 
 ヒアリングの勉強に繋がっていたことからわかるのは、リビング学習
のメリット。
 でも、自分の勉強に集中しきれていない点に目を向ければ、秀才では
ない、という判断になるのかなあ。
 が、私も同類。いや、それ以上。
 音楽を「聞き流す」ことができなくて、バックミュージックとは常に
敵対関係。どんなに集中しても、「あ、そう言えば、音楽、流してたん
だ」と夢から覚めたようになるなんて、あり得ない。
 今もそう。
 CDからパソコンに取り込んだ音楽をかけて、これを書き始めたら、
思考が乱れるので、謹んでご退場願った。
 珍しくバックミュージックを渇望する事態になった目的は一応達成で
きたので、いいんだけど。
 フランス人の友からパソコンでビデオ放送を見られることを教えても
らい、はまったものの、画面上に多数開いたファイルの下に埋もれて、
画像はないに等しい。音声だけの情報があればなあ。あ、ラジオ?
 そのサイトを探し出し、聞きながらでもできることを平行してやって
いたら、不意に、途切れなく続く言葉に疲れたのだ。
 で、歌詞のないクラシックを選んだのだが、「求む集中力!」の前で
は、いつも通り、邪魔になった次第。
 凡人の中でも、限りなく秀才から遠い自分と納得しました。