「ファインダー」という奥の手

 二年前、出雲を旅した。
 六十年ぶりの遷宮で、出雲大社の御本殿が特別拝観になったからだ。
 同じ趣味の友達が見つからなくて、一人旅。
 写真はもっぱら風景写真。
 それでも、山深くの須佐神社にまで足を延ばした二日目、SDカード
の容量が足りなくなり、不要と判断できる画像を消去して、なんとか間
に合わせることになった。
 256MBでは少ないのかなあ。
 私のコンパクトデジカメは400万画素だから、160枚は撮れる。
 一日の撮影には十分でも、毎晩、パソコンにデータを移行することが
できない旅先では容量不足が起こり得るということか。
 先月、フランスの友が来日したら一緒に出雲に行くことが決まり、も
う二度と訪れることはあるまいと思っていた私は大感激だが、心ゆくま
で写真が撮れないかもしれない。
 ほかに三泊四日の奈良旅行も確定したので、じゃあ、最大容量のSD
カードを買うとしますか。
 あ。私のデジカメは1GB以下のSDカードしか対応できないんだ・
・・。
 でも、256MBの約四倍になるから、余裕よね。
 という安堵は、1GB以下のSDカードは生産終了という時代の波に
直面して、木っ端微塵。
 昔住んでいた一帯が再開発されるというので、その町に住む幼馴染み
と花見がてら再会したら、彼女のダンナが今使っているのは800万画
素のデジカメだが、普通の大きさで見るだけなら一台目の200万画素
の方が色が綺麗に見えるように思う、と困ったように呟いた。もし彼女
が『デジカメに1000万画素はいらない』を読んでいれば、自分の感
覚に絶対の自信が持てただろうに。
 そして私は、やっぱり今の私のデジカメを末永く使い続ければいいの
だと悟った。
 が、それもSDカードがあってこそ。
 ネット上では1GB以下のSDカードの新品がまだ売られているので、
急ぎ、1GBのを2枚買ったが、SDカードにも寿命はある。
 デジカメのみならずSDカードの耐久年数にも、それが「いつ来るの
か」怯えなくてはならないのは、「不安の二乗」が悲しいなあ・・・。
 と、来日したフランス人とあちこち訪れていた先月のある日、写真を
撮ろうとするとデジカメの液晶画面がブラックアウトする症状が突如発
生した。
 画面が一瞬見えているあいだに構図を決め、「えいや」とシャッター
を押すと、写真は撮れている。
 その夜、カメラを眺めて「あっ」。
 なんで、ファインダーを覗くという手があったことに、気づかなかっ
たんだろ。