続・後期高齢者

「えげつない」は関西弁。
後期高齢者」という言葉に、あとは死ぬだけ、という意味を嗅ぎ取り、
あまりにひどいと思ったものの、そういう言い回しでは生やさしすぎる
気がして、前回、「えげつない」と書いたのだったが、実は、私が最初
にえげつないと感じたのは、この言葉の意味に関してではない。
 なぜって、人は死ぬのに、生きる意味はあるのか、とか、この世とあ
の世のことなどを、人生のどこかの時点で真剣に哲学するなら、七十五
歳にもなれば、歳は取るもの、いつかは死ぬものと、誰もが悟りの境地
に到達できるはずで、そうであるなら、この言葉は、当事者自身に笑っ
て受け入れられることになる。
 けれども、当事者の反応は不満や怒りや嘆きなので、やはり、そこま
での達観は叶わぬ夢だとわかり、ならば、そういう人達の神経を無用に
逆撫でせぬよう、「七十五歳以上」と言ってあげればいいのに、と思っ
た。
 でも、そういう言葉の遊びどころではないえげつなさは、四月から、
七十五歳以上の人達が、介護保険料に加えて医療保険料も年金から天引
きされることではないか。
 そのぐらいの年齢になったら、ついうっかり払い忘れたり、払ったか
払っていないかわからない領域に入ってしまう人達も増えると、行政は
七十五歳以上を一括して見くびったのだ。
 私は、その人達に成り代わって、憤怒した。
 ところが、この点に関する抗議や反対はほとんど聞えてこないので、
私は不安になってくる。
 日本では、サラリーマンは、自分が国に収める税金を会社が代わりに
計算してくれることをラクで助かるとみなす人が大半なので、その延長
線上だと考えれば、想像がつかないことはないのだが。
 いや、やっぱり、安易に納得したくないかな。
 だって、アメリカのサブプライムローン問題を引き金に、日本株が下
落し、それが多数の投資信託の元本割れに繋がって、資産が大きく目減
りしたとか証券会社の説明が違っていたと、投資信託への苦情相談が過
去最高に達しそうだが、相談者の最多年齢は七十歳以上で、全体の四割。
六十台を加えると六割になると知ったからだ。
 これでは、よくわからないまま儲け話に乗り、悪い結果になると人の
せいにするのは高齢者だと証明していることになり、そういう人達に正
当な判断力は期待できないと言われても、擁護できなくなってしまう。
 それでも、私は天引きには反対。未来の私が無能扱いされるのは悲し
いもの。