ガラケー派の旅行

 私はガラケー。インターネット接続のオプションなし。
 そんな私は、事前に列車の候補や乗り換えパターンを下調べしておく。
 先日、長野に旅行に行った時もそう。
 だが、出発の日。
 朝早く目が覚め、持ち物の最終確認が終わっても、まだ時間が余るので、
昼用にささっと弁当を作った。新幹線の駅構内で買うつもりだったが、選ん
でいれば、あっという間に五分や十分は過ぎる。そういう不確実な時間はな
い方が、心配性の私には嬉しい。
 ところが、それでも時間が余ったので、出発することにした。つまり、こ
の時点で、下調べしていたバス、列車より早いのに乗ることになり、五里霧
中、とにかく前へ、という状態になったのだ。
 新幹線の改札口で掲示板を見上げると、二分後東京行きが出発する。
 駅員に聞いたら、すぐ横のエスカレーターを教えられたので、乗れるかも、
と駆け上がり、乗れるじゃないの。
 すると欲が出て、揺れる車内を歩くよりはと、自由席車両までさらに走っ
た。
 名古屋駅では三分遅くて、予定の一つ前の「しなの」に乗れないことにな
ったが、駅のベンチで優雅に弁当を食べ、向かいのホームの人達などを旅人
目線で観察していれば、四十分など、あっという間。
 余裕があるのはいいものである。
 つくづく、そう思った。
 と言うのは、帰りの日、「しなの」が途中で数分停止したのだ。在来線の
トラブルの影響らしいが、名古屋駅に定刻に着いてくれるのか。
 車内を回ってきた車掌に聞くと、わからない、という返答。
 名古屋駅が近づき、私はまた車掌に聞いた。今度は、到着ホームで、この
列車の左右のどちらの扉が開くのか、ということである。
 左と言われたので、その扉の前に立つ。
「しなの」は七分遅れで到着。乗り換えの猶予は三分間。
 扉が開くと同時にホームに降り、階段を駆け下り、新幹線のホームへ。
 間に合った。
 それにしても、「しなの」が止まっても、私のように車掌にあれこれ問う
乗客がいなかったのはなぜだろう。
 あっ。
 みんな、スマホで最新の遅延情報を入手し、次善の乗り換え列車を確認し
たりできるからなんだな。
 自己完結。
 けど、それに慣れて、人に直接尋ねる必要ができた時、どう会話していい
かわからなくなったりしないのかなあ、なんて言ったら、余計なお世話って
言われそうかな。
 それに、通信自体ができなくなったら、誰に聞いても解決しないし。
 違った。
 今日、auショップには苦情の客が詰めかけたとか。
 私のガラケーも、アンテナはずーっとバツ印。