百年に一度の大恐慌

 今は経済社会なんだから、最低限度の知識ぐらいは身につけたい、と
私なりに頑張ってみる。
 でも、為替チャートは、普通、円が横軸で、円高になるほど右肩下が
りになるのに戸惑うし、そもそも「円が高い」ってどういう意味?
「円が強い」ならわかる。
 強いものは、強いから、一の力で、二倍、三倍・・・と手にすること
ができるってことでしょ。
 ところが、日本語は円高、円安。
 頭の中で円強、円弱と読み替えればいいだけじゃん、と言えるのは頭
が良い人。
 そういう人は小石をまたぐという意識すらなく、瞬時にまたいで、変
換してしまえるのだろうが、そうでない私には、彼らの小石は、目の前
に立ちはだかる大きな岩。それを小石にまで小さくするのに時間と能力
がいる。
 しかも、次の段階で、円が強いのは日本にとってよいことよね、と当
然の反応をしたつもりが、これまた円が弱い方が正解と言われて、え・
・・?
 日本は輸出で成り立っている国という説明は、食料自給率の低さなど
から、輸入の方が目につく生活環境のせいか、どうも腑に落ちない。
 そんな経済音痴であるが、一九二九年十月二十四日という日は知って
いる。
 ウォール街で株式相場が大暴落した日。
 続く大恐慌とやらを、その時代に生きていないのんきさで、私は羨ま
しく感じていた。
 頭で理解できなくても、実体験できたら、いきなり人並みの理解に到
達できるのではないか。
 すると、八月から徐々に円高に。
 テレビや新聞でいろいろ解説してもらえるおかげで、株安と円高の相
関関係を、今や、「当然」とうそぶける私。
 それにしても、きのうの円高はすさまじかったなあ。
 日足や週足もいいが、ひと月分を一本の太線で表わす月足チャートを
見ると、ドル/円以外は、対円でも対ドルでも滝が落ちるように長い線
が急降下していて、ある意味、感動もの。
 大恐慌以来の経済危機とかで、とうとう私も、生きているあいだに、
社会的「すわ、いち大事」を体験することになったのね。
 東京で、フランスの会社に勤めるフランス人は、給料がユーロ建てな
ので渋い顔。一方、日本の会社を辞めてフランスに帰る知人の場合は、
思いがけなく〃濡れ手で粟〃。
 社会的な「大難」を、いかに個々人が「中難」にし、「無難」にする
か。
 物を買わない?
 母は、セール品の安価な電卓を、使いづらくて捨てるらしい。
 そういう無駄から排除してゆきたいものである。