美味しい店

 個人的に英語を教えている小学生が、夏休みに『カラフル』を見た、
面白かった、と言う。
「先生は観た?」
「ううん。でも、本は読んだよ」
 映像と文章があるなら、私は文章を選ぶ。
 原作が映画化された場合は、問答無用で「まずはオリジナルでしょう」
だし、読めば頭の中でイメージが広がり、映画を見たい気持ちは失せる。
 西原(サイバラ)理恵子も、作品の映画化から知り、一連の著書を図
書館で予約した。
 それにしても、読書より時間がかかる漫画が存在したとは。
 特にガクゼンとさせられたのは『恨ミシュラン』だ。
 共著者の文章を先に全部読み終わり、後回しにしていた西原の漫画に
取りかかるが、途中で投げ出したくなる。
 ほかに向けるべき根気を結集して、三巻、「完読」したけれど、断言
します、再読は絶対無理。
 が、作者の真意がつかめれば、一読でも十分なのである。
 西原と共著者の思いはまっすぐ私の心に届いた。
 レストランは知名度じゃないよ。値段じゃないよ。
 そういうことだ。
 じゃあ、何なのか。
 自分の舌。
 ・・・。
 ここで、急に気弱になる。
 添加物、合成着色料、保存料がゼロの純粋培養とほど遠い生まれ育ち
を顧みれば、仕方あるまい。
 しかし、そういう時代なのだから、この舌が基準、と居直ってしまっ
てもいいのかも。
 私の記憶に残る美味しさの筆頭は、京都で宴会が終わり、二次会の前
かあとに部長に連れて行ってもらった店で出されたお茶漬けだ。
 川沿いの細い路地を入った店で、私達は一枚板の木のカウンターに座
り、着物の女将にもてなされた。
 単なるお茶漬けと見えて、全然普通じゃない美味しさに、息を呑む。
 客が夜の〆に訪れる店だから、飲んだあとの舌は麻痺していて誤魔化
されているだけなんだ、と穿(うが)った見方をしてみるが、酒を飲ま
ない私が感動させられたのだ。
 もう一度行きたいけれど、どこにあるのか、何という名前だったか。
 聞きそびれているうちに、部長は他界されてしまった。
 なので、先日、知人にランチをご馳走になったイタリアレストランで
は、ちゃんと店の名刺を入手した。
 野菜サラダを一口食べて、
「うわ、美味しい」
 思わず口に出たのだ。
 九百円という値段から味を低く予想して、お店の人には、ほんと、ご
めんなさい、である。
 私は『恨ミシュラン』の話をした。
 知人は、予約が取れないことで有名な大阪のフレンチ・レストランは
大ハズレだったと話し始めた。