直感力

 万博公園内で出会った初老の外人夫婦は、妻が仕事で一ヶ月ニホンに
滞在するのに夫がついて来たアメリカ国籍のカップルだった。
 会話の最中、「Yes」と言おうとして、「ウィ」とフランス語が口を
突いて出たら、言われた。
「あら、フランス語が話せるの。私はベルギー出身なのよ」
 彼女は五ヶ国語話せるそうな。
 ダンナはフランス語を話せない。英語は話すが、夫婦間の会話は別の
言語。最初、私の背後に彼の言葉を聞くも、聞き取れなくて振り返った
のは、その言葉だったみたい。
 なんにせよ、それ以降、私と彼女の会話はフランス語に。
 そして、彼女から、夫の帰国後、最初の夫とのあいだの子である末娘
が来日したら、一緒に京都に行ってくれないかと言われて、承諾し、笑
顔で別れた途端、私はどよんと気持ちが落ち込んだのだった。
金閣寺って言ったけど、金閣寺に連れて行けば任務完了ってわけじゃ
ないわよね」
 と気づいたのだ。
 その土地の人が私に一日同行してくれるなら、それだけでも心強いし、
感謝だけど、観光客では実現できない中身の濃い一日に仕上げてくれた
ら、心の底から感謝が沸き上がってくるだろう。
 どうせなら、そういう一日を提供したい。
 となると、その下準備で、私は自分で自分を忙しくする羽目になる。
 だから、
「あ〜あ」
 なのだった。
 安請け合いして、お人好しにも程がある・・・。
 うじうじ後悔が続く。
 ただ、じゃあ、時間を巻き戻せるとして、あの会話の流れで、あんな
風に頼まれたら、と想像すると、やっぱり引き受けたという結論になる。
 ふーむ。
 今まで、異国の旅先でたまたま言葉を交わしたことから結婚に至るよ
うなことは、
「あり得ない」
 と思っていた。
 が、そういう夫婦は実在するので、
「あり得るらしいけど、ひとごと」
 そんな理解だった。
 ところが、類似の経験をしてしまったら、
「誰にでもあり得る」
 と認めるしかない。
 人は、出会って三秒で相手を判断すると言う。
 これまで生きてきた中で培った感性が、
「この人はちょっと」
 とか、
「ああ、この人なら」
 と即断をくだす。
 理屈でねじ伏せるのではない、一瞬の判断。
 そこに、言葉を交わすことで印象の軌道修正が加わり、それでもなお
直観がOKを出す時は、素直にその直観に従えばいいのかも。
「出会いは最悪だったけど」というストーリーの方が安心できる私に別
の世界を見せようと、今回の出会いがもたらされたのかなあ。
 ならば、直観力をもっと磨いて、次回目指すは、ロマンスに繋がる出
会いだィ!