恨みの発生メカニズム

「それは、いじめか」とまで私に叫ばせたおっさんは、続く私のつれな
い態度で、ようやく私の本心に気づき、すると、私をもてなしてくれて
いたこれまでの習慣をやめると宣言。その習慣は、私の気を惹くためも
あったのだろう。
 もし私に、今後も彼に同じもてなしをねだりたい気持ちがあったなら、
卑屈に彼のご機嫌を取り結ぶ行為に出たはず。
 だが、彼と接する時間が縮小するのは願ってもないことだし、私の出
方次第でさらにそれを短縮することもできる。ためらわずに私はそうし
た。
 言い出しっぺは彼なのだ、文句はないだろう。私も幸せ。
 なので、ストレスに襲われた時、この一件が原因だと気づくのが遅れ
た。
 価値観が合わない相手であっても、そこに光が当たらない話の時には
楽しい会話となるよう愛想よく振る舞ってきた私は、おっさんから、そ
れが本物の私で、たまに手厳しく彼に意見する時の私はピリッと味を引
き締めるスパイスだと見られていたと、今の今まで気づけなかったのだ。
自分自身の愚かしさに愕然するとともに、こんな相手のために無駄に使
わされた時間が悔しくなったのである。
 約三年。
「三年目の浮気」などと言うが、相手の本性を見抜いて目が覚めたり、
相性が良いと思っていたら違っていたと気づくまでに、そのぐらいはか
かるのかもしれない。
 ただ、三年は長い。
 その長さにこだわりすぎると、自ら堕ちる道に足を踏み入れる気がし
た。
 目が覚めるまでにそれだけ時間を必要とした自分の愚かしさは棚に上
げ、すべて相手が悪いと考えて、相手を恨み、納得しようとするならば、
一体、恨みつらみそねみにどれだけの時間を捧げれば、終了の鐘が鳴る
のか。
 仏教でも、スピリチュアルでも、時間に過去と未来はない、あるのは
「今」だけと説く。恨む気持ちは過去を見ている。過去から心を離さな
いぞと決意し、今を生きないことを選んだことを意味する。
 ところで、それで幸せですか。
 そう自問すると、一年後でも十年後でもなく今気づけたので傷はまだ
浅い、と歯を食い縛っても思うようにした方が人生が輝くとわかるだろ
う。そして、相手を心の中からいち早く追放する。
 私は、相手と会わなくすることは叶わないので、私の心に相手の居場
所を与えないよう、ある意味「無視」することにした。笑顔も軽蔑も、
どちらも相手に関心が向かうことから生じる。そこで、相手に対してど
んな感情も芽生えることがないよう振る舞うことにしたのだ。
 すると、ストレスが消えた。