「それでいいよ」サイン

 先日、通勤ラッシュ後の始発電車に乗った。
 三人掛けの端に坐ると、バギーと言わずに昔ながらの日本語を遣うこ
とにして乳母車を押した太い黒縁眼鏡の女性が入ってきて、私に、
「ここ、いいですか」
 と聞く。
 私はひょこっと頭をさげつつニコッと微笑み、やたらと擬態語の多い
文章になっているが、要は無言で「どうぞ」と伝えた。
 彼女はドア側の端に坐り、乳母車に乗っていた男の子は彼女と私のあ
いだ。子供は半人前の大きさだから別段私に迷惑がかかるわけはなく、
やっぱり、私は、なんで坐っていいかと訊ねられたのか、疑問。子連れ
の母親はそんな風に先回りして周囲に遠慮を表現するようになるのかな
あ。
 軽く居眠りして、彼女より手前の駅で降りた。
 その夜、スーパーマーケットで肉売り場の棚を見ていたら、
「朝、会いましたよね」
 振り返ると、電車で並んで坐った彼女と子供。
 彼女は私の姿を見て朝会ったことを思い出し、一日に二回も会う偶然
に驚いたそうな。私も同感である。
「どこかに行かれてたんですか」
 という問いには、
「ええ」
 日本的日常会話術で煙(けむ)に巻き、
「じゃあ」
 会釈して、乳母車の男の子にはバイバイ。すると、少し手を上げかけ
るので、かがんで、かなり強引ハイタッチ。黒縁眼鏡母さんは、我が子
がその幼さでもう社交的に振る舞えることに感激したかも。
 でも、一番の幸せ者は私だ。
 朝は無愛想で最低限度の態度と言っていい私だったのに、また会った
というだけで声をかけてもらえたのだから。幼い息子と二人きりの閉塞
した日々の中ではこういう偶然に敏感になるものだとしても、それを割
り引いても、ああ、また会ったなあ、すごい偶然だなあ、と心の中で驚
いて終わるのが普通ではないか。
 その日、私は、先日来のストレス元凶男性に対して最後の手段に出た
ところだった。言葉で言っても通じないようなので、露骨につれない態
度に出たのは決意の行動。後悔はない。が、今後の相手の出方はちょっ
と不安で、私は本当に正しいことをしたのかと気弱になっていた。
 と、黒縁眼鏡の女性に声をかけられた。それって、私のことを気軽に
話しかけてもいい相手だと感じてくれたってことよね。
 ならば、私はプラスのエネルギーに包まれていた。そのままでいいっ
てこと。
 通りすがりの人が意味なく親切にしてくれたら、今の自分の精神レベ
ルが高いという目安。運命からの吉サイン。
 運命は、黒縁眼鏡の女性を介して私にエールを送ってくれたらしい。