カウンセラーと患者

 自分のことを棚に上げて人のことを批評し始めたら、油でも舐めたの
か、と言いたいぐらい饒舌になる。
 誰しもそういう自覚があるからだろうか。人の心理を扱う専門家には
自分自身の家の問題を解決できていない人が多い、と言う方も言う方だ
ろうが、さもありなん、と納得しそうになるのも困ったものではある。
 中には、もちろん、「紺屋の白袴」の人もいるだろう。そういう人は
学んだ技術だけでカウンセリングするのかな。自身の人生に問題なし、
という前提なのだから。
 しかし、人である限り、心の問題を経験しない人はいない。
 ゆえに、人間関係や、自分で自分の心を持てあますなど、何でもいい
から人生の中で大きく落ち込み、あたふたした過去を持つ人の方が信頼
できる気がする。
 そういう人なら、悩んでいる目の前の人のことを、過去の自分と同じ
く、たまたま迷路に入り込んでしまった、自分よりあとに来た人、とい
う目で見てくれるし、相手の問題の本質もたやすく見抜いてくれそうだ。
 よって、ひたすら聞くというカウンセリング手法に私は懐疑的。
 知り合いに、その手のカウンセリングに通って何年目かに、
「もういいでしょう」
 と言われ、自分もそう感じ始めていたので通院を終了したという人が
いるが、私なら、好きに話していいとなったら、自分の周りに勃発する
嫌な出来事を嘆き、私は悪くないのにと言い張り、黙って聞いてもらえ
るので良い気分になるも、問題は解決しないから、お金を払って通院し
続けるという不毛を延々と続けることになりそうだ。
 私のような人間に効くのは「君はなんで問題の本質から目をそらす」
と言ってくれる荒っぽい治療だろう。
 それを「読む」ことでこっそり実行したいのが私。
「厳しい修行で悟りが開けるという考えは、お釈迦様の発見とは正反対。
日本の仏教はマゾですか」
 などと平気で言うテーラワーダ仏教には目を見開かされた。
 占いは、自分自身を知ることが心の平安を得る一つの手段だと考え、
のめり込んだ。
 今を生きやすくさせてくれる発想はスピリチュアルにもある。
 心屋の手法も読むだけだが、それにしても彼の傘下のカウンセラーは、
きわもの集団か、と言いたくなる面々ばかり。
 自殺経験あり、精神科入院あり、モラル・ハラスメントを受けていた、
子供を虐待していた、鬱病の薬を売っていて、自分が鬱病になった・・。
 今幸せだから、過去の自分を堂々と開示できる人達。
 そりゃあ、私も続きたい、という人を惹きつけても当然だろう。