セーターの神様

 コットンセーターを、別にどこが悪くなったということはないけれど、
捨てると決めた。
 肘のすぐ下までの袖の長さは、春から夏前までと夏の終わりに重宝し
てくれたが、極太糸で編まれているので、洗濯機の中でも干す時も嵩張
る。それでそう頻繁には着なかったのだろう。
 箪笥の中でも、当然、嵩張る。
 いつまでも古い物を握りしめていたら新しい物が入らない、と言うの
は服も同じだろうし。
 帰宅したら、洗濯しないで、さようならね。
 電車を乗り換え、座席の端に座った途端、隣に座ったおばさんから声
をかけられた。
「そのセーターはどうやって編んでいるんですか」
 そこは表編み、そこは裏編み、とずっと見ていたそうな。
 えっ、私、前の電車の時から見られていたのか・・・。
 気が済むまでおばさんに観察してもらい、
「手編みですか」
 と聞かれたので、
「いえ、手編みだともっと高価になったはずだから、そうではないと思
います」
 と答えたのは、私にとって買う以外の発想はなかったから。
 それから、これを着るのは今日が最後と決めて着てきたのだと告げた。
 おばさんは、型も崩れていないし、水色と白の二色を撚り合わせた糸
の風合いも素敵なのに、とべた褒めで、もしセーターの下にTシャツを
着ていたら、脱いで、おばさんにあげたかった。
 下車する際、振り返って会釈すると、おばさんも会釈してくれ、なん
とも妙な一期一会だったなあと思ったあと、あ、おばさんはこのセータ
ーの神様だったのかも、と閃いた。
 捨てると決めても密かに屈託する思いが続いていたのは、神様から捨
てるなと囁かれていたからではないか。
 それでも私が翻意しそうにないと知り、神様は、もっと強力なサイン
を送るべくあのおばさんを遣わした。神様は姿形が見えないから、人に
自分の代わりをしてもらうしかないのだ。
 だって、普通、素敵なセーターだと思ったぐらいで、声をかけるか。
 それも、私が捨てると決めた日に。
 神様。
 了解しました。
 このセーターは捨てません。
 よくわからないけど、幸運のセーターってことなんですよね。
 けど、じゃあ、いつ捨ててもよくなるんだろう。
 調べたら、二OO三年に、その前年の夏物だったのを購入しているの
で、十一年は経っている。
 友にメールでこの話をし、ついでにこのセーターを着て撮った写真を
探し出して送ったら、メールの私用のアイコンに採用したと、スマホ
面を知らない私に画像付きで報告してくれた。
 彼女にも幸運のお裾分けができたらいいな。