入院患者のケータイ事情

 今月七日に左足の薬指をぶつけ、骨折には至らなくても軽くヒビぐら
いは入ったかもしれないが、人は歩かねばならず、最小限歩くだけでも
左足のあちこちに痛みが波及し、おかげで知った、こんなちっぽけなる
指の偉大な存在価値。
 普通に歩くとは、足の五本の指の付け根に力を入れて歩くってことな
のだったんだ。
 その「普通」には、厳密には平坦ではないが、地面から五ミリぐらい
盛り上がった程度なら、平坦だと錯覚して踏み越えるようなことも含ま
れていたんだと、歩くと指の付け根が痛くなるし、たかが五ミリの盛り
上がりに指が乗っかっただけで激痛が走ったりして、学んだ私。
 二十日以上経ち、ようやく、指の付け根あたりが肥大しているのがヒ
ラメになったような違和感として残るだけに回復した。
 入院中の母を見舞った時の気づきは、病室で電話をする人達である。
 携帯電話は禁止。メールはOK。電話は、病棟の端の給水設備やテー
ブルのあるなんとかルームでと、入院の手引きにも書いてあるし、看護
師から説明もあった。
 でも、家の人に頼みたいちょこっとした要件を自分のベッドでケータ
イで電話して済ませる患者がいる。ひそひそ声、電話相手に短時間で済
ませる必要があると伝える言葉にて、カーテン越しに同室者に遠慮を示
した事にするのかも。
 あす退院という患者の所に見舞いに来た家族が、ケータイで身内のく
だらぬ人間関係を延々と喋っているのは、さすがに看護師から注意して
もらったけど。
 ケータイ電話は、場所を選ばないからなあ。
 ただ、患者の中には、ベッドから動けないけど電話したいという病状
の人はいるだろう。
 あるいは今は電話するだけでもやっと、という気力体力の人も。
 高齢者になると、その確率は高まる。
 普通の体調からずり落ちた時、通信手段は、電話がやっぱり最強にな
る。
 台所のコンロなら、数字などから火力を頭で理解するIHではなく、
火を見て納得できるガス、とか。
 本能的だから。
 歳を取るとは、脳が、シンプルなことならなんとかわかる、という原
始に回帰していくことだとすると、電話の話に戻って、ガラケーの存在
は実に輝やかしい。
 なのに、恣意的に絶滅に追い込まれているのかなあ。
 無駄な機能をてんこ盛りした機種しか選べなくなり、無駄に高い料金
プランに移行させられ、こまめな充電で電力需要拡大に加担されられ・
・・と考えると暗くなってくるが、希望は、高齢者の爆発的増加。
 今から未来のガラケー復古を待ちわびる私であった。