その理由は、自己都合

 人は「なぜ」と聞くし、聞かれたら律儀に答える。
 遅刻したのは電車が遅れたせい、学校に行かないのはインフルエンザ
で学級閉鎖だから、というように因果関係が明らかな場合も多いが、
「なんで、あの人が好きなん」
 というような質問は、同じ仲間の「なぜ」ではない。
 なのに、それっぽいことを答え、相手も納得してくれるものだから、
唯一の因果関係を答えた気分になる。
 先日、遙洋子が、テレビで、過去の婚約破棄の話を語っていた。婚約
した相手の実家で出された魚が自分のだけ小さくて、それが駄目押しと
なり、相手と別れた。だって、自分の母親は兄嫁にさんざんむごい嫁い
びりをしたけれど、食べ物の差別だけはしなかった、と。
『嫌われる勇気』がこれほど読まれた今、あ、これは、人は自分を正当
化するために都合の良い出来事を過去の中から選び取る、というアドラ
ーの法則の好例だな、と閃いた人も多かったのではないか。
 彼女には、自分に出された小さい魚が、婚約破棄の決定打として、人
に共感され、自分も納得できる好材料に見えたのだ。
 アドラーを知らなくても、体格的に女性は男性より小食になるのが普
通で、私もそうだと見なされた、と良いように受け止めることもできた
のに。結婚後もその扱いが変わらないなら、あとで一人で台所でがつが
つ食べれば済む。
 しかし、言葉のいじめは、そうはいかない。
 福島の原発事故で他県に避難した子供達が、
「放射菌」
 と転校先の同級生にいじめられた話や、
「賠償金があるだろう」
 と金をたかられた話など、今もぽろぽろ出てくるが、子供だから言い
返せなかった、わけではない。
 まさかそんなことを言われると思っていない心に悪意の言葉が突き刺
さったら、どう刃向かい、どう自分を護ればいいか、わからない。
 それに、そう言われても仕方がない、という気持ちがちらっとでもあ
ったなら、ますます相手を図に乗らせることになるだろう。
 友達のおかあさんが、何かと飲む機会を持ちたがり、飲めない娘に批
難され、それに私も加勢すると、
「結婚前は飲んでなかったから、結婚生活がストレスやったんやと思う」
 と見解を述べた。
 夫は二十年以上も前に病死し、やれゴルフだやれ海外旅行だと人生を
謳歌しているのに、未だに二十年前の夫のせいにするのか、と呆れた私
は、その論理の小ずるさを指摘。
「じゃあ、単に飲むのが楽しいからってことかなあ。ま、その方がいい
か」
 そう。その方が、自分自身に対してよっぽど誠実です。