常識、別の名は、洗脳

 今週、一躍渦中の人に踊り出た、財務省福田淳一事務次官
 女性記者にセクハラ発言を繰り返した、と指摘されても、
「言葉遊び。全体を聞けばセクハラではない」
 と主張する、ということは、彼は、会話の中に紛れ込ませる性的な発
言は音楽の休止符ぐらいにしか思っていないのではないか。
 自分の言動が、権力を笠に着た弱い者いじめになっているかどうか。
 その相手が、自分と同じような言動を自分自身にしてきたらどう思う
か、で普通は検証できる。
 ただ、性的なことは、男から女、大人から子供、という関係性にある
だけで強者から弱者、になり、この場合だと、女性記者から、
「触ってもいいですか」
 と言われると想像したら、次官は「こよなく良し」と相好を崩すだけ
だろう。
 彼の発言で一つだけ面白かったところがある。
 音声データの声について、
「自分の声は自分の体を通じて聞くのでよくわからない。福田の声に聞
こえるという方が多数いることは知っている」
 と語ったことだ。
 私は、テープに吹き込まれた自分の声を聞いて、
「こんなの私の声じゃない!」
 と愕然とした経験がある。
 自分の声は、空気を震わせて耳に伝わる以外に、骨からも伝わるので、
他人が聞いている自分の声と同じには聞こえない。
 その事実を言わずにいられなかった福田氏。
 追い詰められているさなかの真摯さ、と見えて、おかしみを感じた。
 だが、この点で誠実だった彼は、セクハラ発言だと思っていないとい
う見解も、彼の本音を誠実に語っただけかもしれない、とも思えてきて、
うーん、まずいな。
 自覚のない人ほど厄介なことはないから。
 ところで、十九日の午前零時にテレビ朝日が緊急会見を開くまで、政
府はセクハラ被害者に名乗り出るよう促し、顰蹙を買っていた。
「名乗るなんて、できっこない。勤務先の会社は、今後、取材がしづら
くなるし、本人も取材先から敬遠されて、社内で配置換えされたりする
だろう。不利な事しか起こらない」
 まったく同感である。
 しかし、これが確たる顛末だ、と私自身もそう思ったのは、自分自身
の尊厳より、組織への忠誠を上に置くのが正解だと刷り込まれてきた罠
のような気がしてきた。
 上司に訴えたが揉み消されて、週刊新潮に連絡を取った女性記者。
 彼女は、海に飛び込んだ最初の勇気あるペンギンになったかも。
 そんな彼女を応援したい人達の力で、彼女の未来は暗いどころか、逞
しく明るく輝くのではないか。
 希望だ。