九十歳でも一人で買い物

 高校時代、満員電車でかばんが私の手元からずんずん遠ざかり、もう指
から離れる、と思った瞬間、かばんがぐいと引っ張られた。
 座っている女性が自分の膝の上に置いたのだ。
 次の駅で人が降り、空間ができても、座る私があなたの荷物を持つわ、
という友達同士みたいなことを続けてくれる。
 後ろにいた友に問われ、混雑しているから、と言ったが、それでなぜ私
のかばんが人の膝の上にあるかの説明はできなかった。
 降りる時、「ありがとうございました」と言ったとて、友に説明する際、
その人も聞いているのに、感謝を口にできなかった事実は消えない。
 気恥ずかしかったのだ。
 若かった。
 じゃあ、今は大丈夫かと言うと、親切にしてもらったら礼は言えるが、
私が親切にする事に関しては一貫性がない。
 相手が横柄そうに見えたら、親切にしてあげたいと思っても、思わなか
ったことにする。
 その第一関門をクリアした人は、たとえば、電車で席を譲ってあげよう
としたら、まだそんな年寄りではないと反撥しそうかどうか、値踏みする。
 もちろん、受ける感じから勝手に決めつけるわけだが。
 先日、スーパーマーケットで、レジで支払ったあと、買った物を籠から
出して詰め替えていたら、そのテーブルに高齢の女性が来た。
 カートには杖。
 彼女がリュックから折り畳んだ小さな紙袋を出す。取っ手は律儀に結ん
である。
 高齢者はよくそういうことをするんだったなあ。
 結び目はなかなかほどけない。
 すでにそこまでの動作がゆっくりなのを見ていたので、私は、横からす
っと紙袋を奪い、彼女の代わりに結び目をほどき、紙袋の底を広げてテー
ブルの上に置いた。
 彼女が、籠から卵のパックを一つ取って、入れる。
 購入した物を全部その紙袋に入れるのなら、きちんと詰めて入れないと
無理ではないか。
 私は、彼女が適当に入れた卵のパックの角が紙袋の角に当たるよう、入
れ直した。
 彼女は何も言わない。
 なので、私は無言のまま、全部をそこに移し入れた。
「ありがとうごさいます。もう九十でねえ、なかなか思うようにできなく
て」
 彼女は胸の前で手を合わせ、観音様のように私を拝む。
 いやいや、そこまでの感謝はしすぎです。
 でも、
「え。九十ですか・・・」
 そこまでとは見えず、私は、私の一方的な手助けを不要だと煙たがられ
ないか、気にしながら作業していたのだ。
 未来の私にも、この時の私のような人が現われてくれますように。