絵と文字

 赤色の円の中、左上から右下に走る赤い一本線。
 それが禁止を表わすらしいと、先日、地下鉄のトイレで気づいた。
 便器に座る向きを、これは間違い、と絵で示していたのだったと思う。
 たぶん、そういう意味なのだろうと思うも、戸惑う私。
 そのマークは外周が丸く、丸はOKだと直感的に判断されるから、えっ、
正しいんだったら、一本線はやっぱりバツじゃないのか、などと考え、自
信が揺らいだのだ。
 このタイミングで、警視庁が、歩行者が道路に進入するのを禁止する標
識の改正を検討しているという新聞記事を読んだ。
 その標識もやっぱり丸い円の中に赤線。しかし、線は中央部分が大きく
途切れている。男性のシルエットと、二本の斜め線を隠さないための配慮
だと思われる。
 再び不安に駆られた私は、調べて、わかった。
 私は運転しないので、斜めの赤線一本で禁止を表わすと知らず、こんに
ちまで生きてきたらしい。
 もちろん、この手の標識を目にしたことはあったろう。その時はそれを
遵守する行動を取っていたはず。でも、知らないと言えるということは、
私はこういう標識は、見て、見ていなかったのだ。
 なんか衝撃的。
 私は本当にこの国の人間なのか。
 私のような大人に育たないためにも、小さい子達が、早くから、赤線一
本、禁止の意味、と学ぶのは良きことだろう。
 それでも。
 標識とは、言葉なしで通じるデザイン。
 だとするなら、「横断禁止」の漢字が読めない子達が交通事故に遭わな
いよう「わたるな」表記を許容するという改正は、本来、的が大きくはず
れていることになるのではないかと、文字なしではこの標識が理解できな
かった私の中の子供の視点を思い返して、私は思うのだった。
 しかも、道路の線と、禁止の赤線が接する角度のせいか遠近法がおかし
く見えるし、人のシルエットは空中に浮かんで見え、デザインにも混乱さ
せられた。
 が、これが精一杯の簡略化だったんだ、と大人の視点で見直すと、大人
の事情は理解できた。
 標識は芸術ではないからいいとして、絵本の挿絵作家の言葉は印象に残
っている。
 各ページ、物語の一場面を絵で表現するよう求められるのは、あるいは
それが当然だと思われるのは、挿絵作家として忸怩たるものがある、とい
うのだ。
 その気持ちはとてもよくわかった。
 単に文章を説明するための絵であるなら、絵は添え物。
 文章と絵は、互いに独立して、でも響き合ってこそ。