インターネット記事

 情報はどこまで必要なのだろう。
 どこまで真実なのだろう。
 なんだか、ちょっと厭世的な思考に陥っている今。
 きっかけは、iMacwebブラウザSafariに不具合が起こり、アップル
ケアに電話して解決策を試みるも、次の解決策を試さねばならないことが
わかり、でも、その日はそれ以上時間が取れなくて、日を改めて相談させ
てもらうしかなくなったことだった。
 しばらくSafariは使わないことにしよう。
 サブのwebブラウザFirefoxがあるから大丈夫。
 そうなんだけど。
 私は、毎朝、幾つか、見るホームページが決まっている。
 なのに、それらをブックマークの上から順に並べていないので、いきな
り頭の体操も兼ねるようなことになる。
 なんにせよ、それらのブックマークはFirefoxに入っていない。
 Safariからコピーしてくればいい。
 しかし、その指令を出す場所が見当たらない。
 私にはよくあること。
 だから、焦らない。
 時間をおいたら、なぜか見つかるのだ。
 実際、見つかった。
 でも、翌朝には間に合わず、各ホームページのうろ覚えのタイトルを入
力して検索するという手間がかかることになった。
 ところが、全部読み終わっても、時間が余る。
 そのあとYahooのページを見るのも習慣になっているが、それはしなか
ったからだ。
 気になった見出しを片っ端から読むだけでも大量に時間を奪われていた
のだとわかった。
 そして不安になった。
 週刊文春週刊新潮がこの夏で電車内の中吊り広告を終了するそうだが、
その同じ広告は新聞にも載っている。
 見出しを読んで、
「あ、この記事を読みたい」
 と心が刺激されることがある。
 でも、大抵、すぐに忘れ去る。
 本屋に行かないと満たされない欲だから、知らなくてもいいと脳が説き
伏せてくるのかもしれない。
 一方、インターネットの場合は、クリック、即、そのページ。
 欲がすぐに満たされる。
 それは進化なのか。
 知っておくべき情報入手には時間がかかるもの、と思っていたけど、単
に暇潰ししているだけ、ということはないのか。
 だって、見なくても困らない。 
 もしかして嫌なことに気づいてしまったかなあ・・・。
 あと、信憑性だ。
 これについては文字や言葉で発信される情報すべてが対象になるかもし
れない。
「胎内記憶のある子、百人に聞いた」
 という文章を書いた人は本当に百人の子に取材したのか、というような
ことだ。