笑顔の裏の悲しみ

 新型コロナウイルスの発生以来、外出を控えているが、先日、同僚とラン
チした。
 仕事帰りは時間がないので、日を改めてのランチである。
 緑濃い木々を眺めつつ、のんびり時間が過ぎる。
 仕事の話は切りがないし、愚痴や不満ばかりになるので、少しだけ。
 私は個人的には、身近な話も避ける。
 相手へのほどよい興味で止まればいいが、行きすぎて詮索になることもあ
り、その境目の判断が難しいからだ。
 こんな私に、相手が、不意に、人生や家族を早口で語ってくれることがあ
る。少しであっても中身は凝縮されていて、私は驚かされ、そういう打ち明
け話で十分満足させてもらえるのであった。
 と、同僚が、
「菊さんは、いつも明るい」
 と言い出した。
 私は一瞬考え込み、
「傍目にもわかるほどになったら、かなり深刻な状況なんじゃないかなあ」
 と応じた。
 私とて、悩みがないわけではない。
 だが、それを今、彼女に告白する気はないから、こう言って煙に巻くこと
にした、のではない。
 明るい人は、悩みがないから明るいのではない。悩みは、ある。できれば、
誰かに聞いてもらいたい。そこで、この人ならと思った相手に、ちょっと仄
めかしてみると、軽くあしらわれ、あるいは、そんなこと、たいしたことが
ない、というようなことを言われ、ああ、これ以上話しても詮無い、とわか
って、心の扉を閉じる。
 でも、自分だって、誰かの悩みに軽率な反応をすることはあるだろう。こ
れまでに何度もしただろう。
 そう想像できるから、相手を責めない。
 ただひっそりと心を閉じる。
 そして、明るく、ただもう明るく振る舞う。そうやって、自分で自分の心
を引き立てる。
 ほかにどうできる。
 一般論である。
 そんなことを語っていたら、黙って聞いていた同僚の目に涙が浮かんだ。
 目頭を押さえる。
 え。
 私の話のどこが彼女の心に染みたんだろう。
 戸惑いつつ、私は話し続ける。
「どうしたの」
 なんて聞かない。
 聞かなくても、私が彼女の涙に気づいていることを、彼女はわかっている。
 それでも、私も彼女も知らんぷり。
 今週、芸能人の自殺が相次ぎ、テレビで、
「遺される者の気持ちを考えたら、自分なら思いとどまる」
 と、したり顔で語ったコメンテーターとかいう類いの人がいたが、健康な
自分の目線で相手の心を断罪しただけの傲慢さだと気づいていない。
 これが世の普通なのだ。
 だから、人は心が弱っていても、いや、だからこそ、明るく振る舞う。可
能な限りは。
 私達は、ノー天気な話題に戻った。