建国記念の日

 今日は三月並みの暖かさになるという天気予報が信じられそうな朝の空気
だったので、診察してもらいに行った。患者の多い土曜日に少しでも待ち時
間を短くしたい私は受付終了間際を狙って駆け込む戦略。
 ところが、診療所が集まった建物の一角が暗い。入り口にロープが張られ、
説明書きがぶら下がっているが、建物の管理の必要から休みというような内
容だったのではないか。
 家を出る前に、今日行っても大丈夫か、調べた方がいいという考えがちら
っと頭に浮かんだ。でも、過去に何度も土曜日に診察してもらったことを思
い出し、浮かんだ考えを追い払った。調べるわずかな手間を惜しんだばかり
に、こんなことになったなんて。
 この悔しさを誰にぶつければいいのか。
 私自身だ・・・。
 無意味な外出からの帰りに店に立ち寄り、馴染みの店員にこの一件を話し
たら、
「あ、もしかして」
 彼女が台の上の小さなカレンダーを手に取り、私に見せる。
「やっぱり。今日は普通の土曜日じゃなくて、休日ですよ」
 えーーーーーっ。
 このショックと自己嫌悪。
 誰にぶつけることもできないがゆえに、私はいたく打ちのめされる。
 帰宅して随分経つのにこれだけの文字数を使ってうじうじ書いてしまうほ
どに、私は立ち直れていない。
 ちらっと何かが頭に思い浮かんでも、今しようとしていることをし終えた
あとにするのが正しい優先順位だと信じ、そうしたら、たとえば、それがカ
メラを持って出ることだった場合、それを次に思い出せたのは電車に乗った
あとで、もう遅い、というようなことがあったり。
 急に汚れや埃が目に付いたが、あとで綺麗にするつもりでいたら、時間を
置いてそこを見ても、もう汚いと思わない鈍感さでそのままにしてしまった
り。
 そういう経験に学び、ふと意識にのぼった思いは神様の言葉だと理解する
ようになった。神様が気づかせてくれたのだから、何を置いてもすぐ対応。
 ただ、今日のことは、家を出る前に診察券を確かめても、ホームページを
見ても、診察時間の欄に特別の記載はないから、行っても無駄足になるとは
気づけなかった。今日に限っては、神様のサインは役に立たなかったのだ。
 本当にそうか。
 もし調べていたら、次に、ちょっとカレンダーを見てみよう、という思い
が心に浮かんだかもしれない。
 神様のサインは一つずつ。
 そう思うと、ますます、心にふと思い浮かんだことは間髪置かずにすぐに
する、と硬く心に誓った今日は祝日、建国記念の日である。