あの日に戻っても

 首の後ろと、肘から先が、痛い。
 五月にフランス人に付き合って朝から晩まで歩いた日々。
 特にそのうちの一日は暑くて日焼けし、首の後ろは服の形がくっきり。
 腕は皮膚が強烈にダメージを受けた。
 化粧品コーナーで肌のキメを測定してくれる装置で測ってもらわなくても
わかるぐらい、キメが大きく流れている。
 しかも、赤くなった肌の所々に色が抜けて白い小さな円状が点在。
 調べたら、色素が白く抜けて斑点になる尋常性白斑という症状のようで、
日焼けを避けるように、そして、日焼けしたら白斑と正常な皮膚との濃淡差
が目立つ、という解説。
 えっ。私の腕は以前から白斑になっていたのかなあ。
 なんにせよ、一度白く色が抜けたら、もう元には戻らないってことなの。
 私は襟付きの服が好きだが、遊びの時には堅苦しい印象になるだろうと、
わざわざカジュアルな丸首のを着ただけなのに。
 帽子は、両手が空くので日傘より優れもの、と思っていたけど、帽子は腕
が日差しを浴びるのは防いでくれないのね。
 もし、あの日に戻れたら。
 戻れるとしても、あの日が終わったあとの後悔や発見は、あの日の前には
なかったもので、そういうのを持ってあの日に戻るのは反則になるとしたら、
結局、同じことを繰り返すだけ。
 人は常にその時点における自分自身の精一杯で生きているのだ。
 ただ、そう頭では理解しても、まだ続く痛みやキメが乱れた腕が視界に入
る現実から目を逸らすことはできない。仙人でもなければ悟るなんて無理な
のだ。
 せめて、ほかの人は私の二の舞にはならないで。
 じゃあ、助言を求められていなくても、説得すればいいのか。
 私のためを思い、転ばぬ先の杖で親が言ってくれているとわかっても、疎
ましくて耳を防いでいた私は、その気持ちを忘れていないので、ほかの人も、
お仕着せがましい善意は鬱陶しいだろうと思い、何も言わない。
 自分で経験するのが一番。
 それで考えが変わるなら、それがその人のタイミング。
 人はみな、その時点での精一杯を生きているのだ。
 しかし、先日、私はその禁を破り、アドバイスした。
 相手がフランス人だったから、というのはあるかも。
 七月に入り、今度は古くからの友人が家族で来日したのだ。
 雨は降らないが蒸し暑い梅雨のさなか。
 ホテルの部屋に行ったら、空気がもやっとぬるい。
 彼女は、
「資源の節約のために空調を切っている」
 とにっこり。
 私は何も言わなかったが、夜、家に帰ってからメールを送った。