喪服

 私は物持ちが良い。
 服なら、五年前に買ったのは私の中ではまだまだ歴史が浅いし、スカーフ
やマフラーは、一度買ったら、捨て時ってあるの。
 とは言え、問題は既視感だ。
 その季節が巡ってくると、懐かしさより、
「ああ、またこれ」
 見飽きたのなら、着飽きるかも。
 しかし、そう思った気持ちは、実際に身につけたら雲散霧消。
 もう着ないのなら、これに代わるのを買いに行かねば、と思うと、
「ああ、億劫」
 と感じ、その気持ちの方が上回るからだろう。
 何年経っても、穴が開いた、なんて物理的寿命が来ないのが良いのか悪い
のか。
 身長がぐんぐん伸びる若い頃は、嫌でも服や靴を買い換えねばならないが、
見切りが付けやすくなる点では、いいことだなあと思う。
 そういう必然がなくなり、時が止まったみたいになっている私。
 先日、法要があった。
 軽装でと言われても、黒の服の持ち合わせはないので、考えずに済む喪服
の出番となる。
 昔、母が買ってくれた喪服。
 喪服は、それこそ一生物
 用意周到に準備してくれた母に感謝だ。
 ワンピースが膝丈なのが若い雰囲気に思えるけど、ま、いいか。
 しかし、電車で座ると、
「・・・」
 ワンピースの裾が膝上になり、短すぎないか。
 そして、袖は半袖。
 真冬は上着を脱がないから、長い肌着を着て、それがワンピースの袖から
出てもそれでいいのだと言われていたが、この日は上着を脱いでもいいよう
にしてゆき、正解だった。
 十月でも、室内では上着を脱ぎたくなったのだ。
 が、その恰好で写真に写ったのをあとで見て、またまた、
「・・・」
 後日、喪服売り場に行った。
 葬式や法要に招かれることは減る一方なので、喪服を買い直すのは愚の骨
頂だと思うけれど、喪服の現状はどうなっているのか知りたくなったのだ。
 すると、ワンピースは膝下が常識。
 袖は、上着を脱いだ時に肘が出ないよう七分丈の袖で、これも常識。
 そして、ファスナーは背中ではなく前見頃にあり、しかし、そうと悟られ
ないデザインが工夫されていて、これも今の常識だそうで、
「喪服も、だんだん変わってきているのです」
 来年、また親戚の法要がある。
 喪服を買い直すか、使い回せる黒の服を買うかは別にして、今回着ていっ
た喪服は、もう着れない。着たら恥ずかしい、と思うのに、着ることはでき
ない。
 だったら今、私が平気で着ている服の何着かは、やっぱり、本当は、着る
のはもう恥ずかしいのかなあ。