日本のドラマ

 日本のドラマを見なくなって久しい。
 ドラマの常套手段っぽい技巧が、つまらない。
 たとえば、ドラマの中の登場人物はみな、あまりにあっさり本音を語る。
 現実世界では、人は、心の奥底の思いをそう簡単には口にしない、できな
いのに。
 性被害の告白までに何十年もかかるのも、戦争で人を殺した悪夢が脳裏か
ら離れず日々酒に溺れ、何も語らず一生を終える人がいるのも、そういうこ
とだろう。
 それに、これは自分の本心、と思っても、その下に、自分が気づいていな
い、気づきたくない感情が隠れていることもあって、厄介なのだ。
 なのに、人の心を単純化
 だから心に響かない。
 けど、あざとさはある。
 主人公が相手に激しい嫌悪感を覚えたけれど、その後、相手の意外な背景
や心境を知って、心が変化する、みたいなのを伏線回収と言うらしいが、あ
あ、また、ここでも、とうんざりし、ほかに人の描き方はないのか、ドラマ
に進化はないのか、と思う。
 一方、映像の質は、過去を舞台にした中国ドラマを見始めたら、衣装や建
物、調度品など、テレビの連続ドラマでもこんな本物が見られるんだ、と知
り、もう、それと同等あるいはそれ以上でないと満足できない。
 話の筋は大人だし。
 人は老獪、という前提に立ち、そういう者同士が相手を自分の意に従わせ
ようと画策するのに、情や泣き落としのようなあやふやさには頼らない。精
神が大人なのだ。
 ただ、今まで私に馴染みがなかった国のドラマなので、私の見る目が甘く
なっているだけ、という可能性はある。
 それでも面白いと思うのは本当なので、もし私が書く作品がドラマ化され
るようなことがあったら、私がすごいと感動させられた中国ドラマの制作者
にお願いしたい、と夢見る。
 そんな話はあり得ぬ私ですらこんな発想ができるのだから、その道のプロ
はもっと本気で世界を視野に入れているだろう。
 良い時代になった。
 と思っていたら、『セクシー田中さん』の漫画家、芦原妃名子が、ドラマ
化された内容に絶望して自殺。
 ドラマ化とは、原作の世界観を映像でどう表現するかに挑戦する文化のい
ち分野だと思っていたのは、おめでたい素人考えだったみたい。
 原作の屋台骨だけ借りて全然別物の話を作る能力があるのなら、一からオ
リジナル作品を作ればいいのに、と思うのもまた、世間知らずなのだろう。
 私はドラマ制作の性善説を信じたかったのかなあ。
 ま、日本のドラマは見ないからいいんだけど。