誰のためにもならなかった

 人はどうして風邪を引くのだろう。 
 忘れもしない先週の火曜日----って、忘れるには近すぎる過去ではあ
るが、まだ誰も本格的なコートなんか着ていない中、ダウンコートを着
て、その下には、これまた人に先んじ、薄手ではあるが100%ウール
のセーターという格好で出勤した。
 ところが、四方のコンクリートが冷えているのか、じっと座っている
と寒さが強く体に迫ってくる。
 でも、まだ暖房はないだろう、とエアコンをつけるのをためらい、室
内でダウンコートもないだろう、と靴を履いたまま足を乗せて暖をとる
足温器で乗り切ろうとしたら、やっぱりうまくない。で、午後はダウン
コートを羽織ったけれど、時すでに遅し。
 その日、部屋には私一人だったが、出入りする人の目を気にして、自
己規制してしまったのだ。エアコンをつけたら、きっと誰かに「え、も
う」と言われそう。ダウンコートを着たままだと、「あらまあ」と嗤わ
れそう。
 相手の心をおもんぱかる。それは、自分を抑え、相手の気持ちを優先
する行為で、かなり高度な精神活動の証しだ。
 それでも、「あの人はこうだから」「こう言うに決まってるから」と、
まるで本人の心の門番であるかのように言われると、私は苛立つ。その
上、それを理由に、自分としては本当はこうしたいけれど諦める、など
と言われようものなら、怒り心頭。
 事を荒立てないためであっても、自分自身の心を殺すなんて不可能な
のだ。よって、正当なる自己主張はするべきで、そうしないと、ストレ
スに見舞われたり、心を病んだりする。
 そうなってから思うのだ。ああ、ばかばかしい。
 ……と、相手が特定される場面であれば激しく息巻く私が、そうでな
い状況下で、いるかいないかわからぬ人達の気を兼ねようと行動してい
たと気がついた。
 そして、やっぱり思った。ああ、ばかばかしい。
 しかも、今回は両鼻が詰まるという私には特異なパターンの風邪で、
寝ているあいだに口呼吸ができなくなって死ぬのではないかと本気で恐
怖したものだから、余計に悔しかった。