本質的相性

 誰もまだ風邪など引き込まないはずの11月に風邪を引き、それが治
りかけたと思ったら、また風邪を引き、数あった祝日を、どれも堪能で
きずに終わった。
 いくら今年は風邪の流行が早いにしても、あんまりだ。
 私って、そんなにひ弱だったのだろうか。
 その疑問を追ってみた。
 そしてわかったのは、職場の私のいる部屋が寒い、ってこと。
 エアコンは窓側にあり、途中にいくつか衝立(ついたて)もあるもの
だから、暖かい空気は出入り口付近の私のところまでなかなか辿り着い
てくれない。
 このエアコンの温度調節を巡っては、某男性と、夏に激しい攻防を繰
り広げた。やけに冷えると感じて、彼が席をはずした隙に温度計を見る
と、私がいないあいだに温度が下げられている。
 そういう相手であることを考慮し、初めて暖房をつけた時に27度に
設定したのだが、そのうち、靴を履いたまま使う足温器からなんの熱も
感じなくなった。つまり、それほど寒くなったということではないか。
 男女の仲を長期的見地に立って占うものの一つに、暑さ寒さの志向を
その判断基準とするものがある。
 フランス人の友人夫婦の夫の方が「妻は冷え性で、僕の足に足をくっ
つけないと眠れない」と言ったが、これなんかは仲の良さがめでたい例
であるだろう。立派にのろけに聞こえた。
 温度に関係ない話になってしまうが、身長差のあるフランス人夫婦の
妻は、体重のある夫の方に自分の体がひきずられて寝づらいと悩みを打
ち明け、左右が独立した作りのダブルベッドを教えられていたっけ。
 そこにいくと、日本人から聞こえてくる話は、夫のエアコン温度に合
わせていては身が持たないので寝室を別にしたというような話ばかり。
 それでよいのか?
 それはさておき、かの男性は「もっと温度に上げてくれていい」と言
ってくれたが、そういう優しさではカバーしきれぬ本質的な相性の悪さ
を痛感している。
 まあ、おかげで、惚れた腫れたで舞い上がりそうになった時に取り出
すべき“理性の眼差し”が手に入ったと思えば、感謝、なのだが。