赤じそジュース

 赤じそにはポリフェノールがいっぱいと知り、赤ワインの代わりの健
康飲料だぁ、と赤じそジュースを作ってみた。
 ざっと汚れを取るべく水で洗うだけでも赤い色素が抜け出るし、五、
六分煮て、煮汁を漉すと、残った葉は完璧に青じそ状態。青じそに人工
的に赤い色をつけただけの悪い冗談のように見えることに驚嘆しつつ、
煮汁を、目の詰まった油こし紙で二回漉し、純度の高い水溶液にしたの
を再び火にかけ、砂糖を加える。
 が、レシピに書かれたあまりの量に恐れをなし、試飲したら、それで
も十分甘いので、半分ほどで入れるのを止めた。
 常温になってからレモンの絞り汁を加えれば、はい、出来上がり。
 市販のジャムの空ビン四つは、朝一番で煮沸消毒してあり、準備は万
端。
 冷蔵庫を開けるたび、綺麗なルビー色が目を楽しませてくれることに
なった。
 けれども、たった三日で終了。
 砂糖の量を控えたため、生(き)のままの方が美味しかったせいだろ
う。でも、薄めて飲んでも、一ヶ月は持たなかったと断言できる。
 今日は赤じそジュースを作るぞ、と強く決意した休日の大仕事。
 作業そのものは単純なので、もう一度、いや、もう二度でも三度でも、
できないわけはない。
 なのに、大鍋などが所狭しと並ぶキッチンや、あとの片付けを思うと、
その気力が出ない。
 一度目は物珍しさでできるが、二度目からは、時間効率というような
経済論理で考えてしまうせいか。
 そのくせ、代わりにすることが、だらだらテレビを見ることだったり
するのだが。
 そして、田舎の〃おばあさん〃や〃おかあさん〃を羨ましく夢想する。
 抽象的なイメージとしての彼女達。
〃辛気(しんき)くさい〃、即ち、手間暇かかる作業を、労を厭わずし
てくれる身内への郷愁。
 時間がたっぷりあって、家族のために、率先して、そういうことを引
き受けてくれる----。
 でも、本当に、彼女達にはたっぷり時間があるのか、と疑問が芽生え
てくるのは、私自身、そういう役割を割り振られる可能性を持つ同性だ
ったからだろう。
 その立場になればできる、と想像したいが、なんか嘘っぽい。
 そういう私が、イメージとしての田舎のおばあさんやおかあさんには
憧れる。
 この矛盾は、なぜ。
「誰かのための私」に徹しきる覚悟がないせいかも。
 自分自身を諦めきれない。
 まあ、我が家の〃お姫様〃で育った行く末だと考えれば、現代の世相
として了解できそうではある。