「自分なら」と言いたくなる時 1

 成功者の自伝や伝記は役に立たない、と知り合いが言った。
 おお。
 言われてみれば、時代、性別、出自が違っても、彼らは皆、よく似た
頭脳構造である。へこたれない、どんな逆境からでも自分で運命を切り
拓く強さがある、目端が利く、などなど。
 もし自分も彼らと同じ「質」なら、彼らの歩んだ道は素晴らしき教え
となってくれるだろう。発想や精神構造が似ているから、自分にもでき
ると勇気だってもらえるだろう。
 だが、世の中、そういう人ばかりではない。そんなふうに生まれつか
なかった場合、彼らと自分は何がどう違うんだ、と落ち込む読後感に結
びつかないとも限らない。
 相談する時は相談する相手を選べ、とはそういうことなんだろうな。
 外国人と結婚して、互いに外国語の英語を夫婦の共通語としている友
がいる。留学先で知り合い、今もそこに住んでいるのはダンナがまだ大
学を卒業できないからだが、それぞれの親からの仕送りで生活は成り立
っている。
 先日、その友が一時帰国した。夫があと一単位取ったら卒業なので今
年こそと思っていたら、教授に嫌われたのか、またしても留年。「私だ
ったら、教授から返事が来なければ、何度でもメールを送るのに」と彼
女が愚痴る。
 どうするのかとダンナに詰め寄ると、空き時間に働くと言うので、で
もバイトでしょと言ったら、フルタイムだと言う。授業があるのにそん
なの無理と言ったら、ダンナが切れる。
 そりゃあ、理屈で追い詰められたら誰でもそう言うんじゃないの、と
私。
 でも、ダンナが卒業してくれないと何もできない、と彼女が言う。
 夫の立場が定まらないと、自分も宙ぶらりんってことかあ。夫次第の
主婦って可愛い。
 本当にそうかなあ。夫は、卒業しても仕事がみつからないかもしれな
いし、高給取りになっても病気で働けなくなることだってあるのが人生。
その時も、夫がちゃんとしてくれないとって言うのかなあ。
「とにかく、言っても詮無いことを言うのは、言われるダンナも、言う
自分も気分が悪くなるだけでなんの益もないから、それよりも、ダンナ
が卒業するかどうかに振り回されずに今自分がやりたいことをしたらい
いんじゃないの。ダンナが卒業した時にゼロになるとしても、それまで
の時間が無駄だったかどうかは未来にならないとわからないんだし」
 すると、ベンツおじさんが、ダンナは本当に大学を卒業できるのか、
と不安を煽るような物言いをして、それも気に喰わないが、なんで話に
首を突っ込んでくるかなあ。